人生に意味はない
目醒めが深まってくると、人生に自分が思っていたような意味はなかったことに気がつきます。パラダイムシフトです。
意識が絵本の中、人生というストーリーの中にあるうちは「なぜそれをするのか?」という問いと答が存在します。
未来と過去、それの織りなすストーリーがあるからです。
でも絵本の外に出てしまった場合はどうでしょう。
そもそも「絵本の中の自分の行為に意味があったのか?」そんな問いすら成り立たないことに気づきます。「そういう本を読んでいたんだ」というだけです。
強いていうなら自分の選択は「魂=絵本の外の自分がその時求めていたこと」であり、そこからどのストーリーラインを歩むか(どの絵本を読むのか)によって、数千の意味を持たせられると気づいたりします。
人生に意味はなく、幾千の意味づけが可能であり、どんな意味づけをしたかで、今、自分の意識がどのストーリーを読んでいるのかを知ることができます。
そのためこうしたパラダイムシフトの時期には、不条理な出来事、これまでの価値観の崩壊するような出来事を体験される方もいらっしゃいます。また、自分の人生に一体どんな意味があったんだ、無意味の極み、と感じるような価値観が流行ったりもします。
このプロセスは、絵本の中にいると軽いカルチャーショックや失望、絶望といった体験になることもありますが、実は健全な意識の成長過程であり、要は意味を求める段階を卒業するのです。自分がわからなくなった、と感じる方もいらっしゃるでしょう。
意味づけは自分の思う過去と未来があって初めて可能なものであり、それらを手放し意識が永遠のゼロに戻った時、あなたの次のシフトは起きてくるからです。
また、意味づけを求めていた意識こそ、自分の存在価値を証明したいと感じていた自我(エゴ)であり、それらが解体され、癒されていくことで、そもそも最初から意味を求める必要などなかったこと、存在を証明しなくてはならないと感じていた自分が一人芝居を演じていたにすぎなかったことに気づいたりもします。
ロールプレイングゲームをしたり、漫画やドラマ、アニメを見てストーリー展開を楽しむ時、皆さんはそこにどんな意味を求めますか?
少なくともわたしは今回、〇〇のために進撃の巨人を読む!と意気込んではいませんでした(笑)。半沢直樹を見た時もそうでした。読みたかったら読むし、やりたかったらやる。ただ楽しむために。
人生も同じです。意味なんてない。強いていうなら、魂はただそれを体験したかったのです。そうしてこれまで背負っていた自分を降ろしていくのです。
新しい世界へ、ようこそ。
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