目醒めていくと、他人に優しくなれるのはなぜ?

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やっぱり自分が傷ついていたことを本当の意味で理解できるようになるからでしょうね。自分の痛みを理解できないうちは、他人の痛みも理解できない。

それが、自分の痛みを理解できるようになると、他人の痛みも理解できるようになるので、他人の色んな選択についての理解が深まる(なぜそういう行動になるのかが理解できるようになる)という感じです。「そうだよね。そう感じるよね」と。
優しさって自然に起こってくるものだったみたいです。

自分が傷ついている時に他人に優しくしようとするのは無理な話です。
だから、優しくなれない時は無理に優しくしようとしなくていいんじゃないのかな?
自分を振り返ることに時間をかけて、自分の痛みと向き合ってあげることに時間をかければ。

自分が癒されると、本当にびっくりするくらい優しくなれます。
というか、今までわたしって人のこと何もわかっていなかったんだな、と感じたりしました。そう、理解は起こってくるものなんですよね。
 
この優しさは形というより理解力の現れで、わたしの場合は、他人の選択に対する無条件のリスペクトとして出てくることが多かったです。

誰かに目醒めを促したことはありません。迷ったり、行動できない人がいたとしても「この人の魂は今それをやりきりたいんだろうな」と尊重するようになりました。
「そんな自分をなんとかしたいんです」とアドバイスを求められればもちろん応えますが、本当に自分が傷だらけで行動できないこともあるわけで、そういう場合は、行動より自分を癒すことが先決だったりしますよね。
 
おそらく、今の自分の器で何をどこまで判断できるのか以前より少しわかってきたのだと思います。もう少し目醒めが深まったら、また違う見え方をするのかもしれませんね。


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