名残惜しいもの

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隣町に住む修了生とお別れブランチをしました。
その時に「不思議と名残惜しくないし、全然寂しくないですね」とお互いの感じていることをシェアしたのですが、別れ際に「たまには書面に残すのも良いかと思って」ともらった手紙を読んでいたら、思わず涙腺にふれる箇所があって
 
ああ、わたしが本当に名残惜しいものは、ドイツの暮らしでも、お世話になった人との別れでもなく、これまでの自分自身のストーリーだったんだな、と、しみじみ感じてしまいました。なんとも自分勝手な寂しさ...🤣

同じような寂しさは楽器を返却する時にも感じました。
13年お借りしていたので、返すと決めた途端、自分の半身を返すような寂しさがこみ上げて来て、でもその気持ちとじっくり向き合ってあげたところ、実際に返却する時は全く名残惜しさを感じませんでした。あっさりさよなら。
 
思うにわたしたちは、古いものを手放すことで自分自身の意識の整理をしているんでしょう。そして、人生には「今」しかないんだから、いつ別れが来てもいいように大切に今を生きよう、と、結局「今」に回帰するんですよね。
 
ドイツでの暮らしで、体験しそびれたものはあるのか?といわれれば、とりあえず十分に経験したしもうない、ということに気がつきました。修了生には自立を促して来たし、お世話になった人で特別名残惜しさを感じる人も少ない。
(みんなみんな、独立した自分の人生を歩んでいて、それを心から清々しく素晴らしいこと、と感じているからです)

結局わたしがこだわっていたのは、ドイツで暮らしている自分、講座を主宰して修了生を輩出して来た自分、という過去のストーリーだったのでしょう。
それらが一切なくなった時、自分を通して何が起こってくるのか?全く予測がつきません。日本での転職活動をしていて思い起こされたのは、就職も、転職も、独立、履歴書ですら、過去の自分の延長線上で何ができるかを問う世界だったということ。

おそらくその枠を一度外してほしいのでしょう。
ゼロとなった時、わたしから生まれ出づるもの。期待はせず、ただ静かに刮目していたいと思います。


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