食事という夢

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意識が少しずつ開いてくると、ナディとよばれるエネルギー回路が体幹に立ち上がり、毎瞬、毎瞬、新しい命を授かっていることを不思議と体感できるようになってきます。

同時に、食に対する意識が大きく変わってくるように感じています。
 
なんというのでしょうか、おなかがへって食事をとることが少なくなり、自分の望みを叶えるため、目覚めていくために食するという意識に変わっていく感じです。

わたしたちは望む体験をやりきって目覚めていきますので、基本的にはその時食べたいと感じるものを食するわけですが、そうして意識的に望みを満たしていくことで「もうやりきった」「十分に食した」といって卒業するものも出てくるような感じです。

自分に必要のないエネルギーについては、食指が動かなくなるのですね。
おいしいと感じなくなったり、味の奥行きをあまり感じなくなったり、、なんというのでしょうか、食事という体験の余韻が薄くなるのです。
「ああ、おいしかった〜」という感動はなく、あっさりとそのコマが終わる感じです。そうすると少しずつ次からは食指が伸びなくなります。
 
そういえばわたしは日本への帰国前「ドイツで最後に食べておきたいものある?」と聞かれて、全く思い当たらず「じゃあデュッセルドルフの日本食レストランで」と答えて唐揚げ定食を頼んでいました。
ドイツでは、、もう特になくてですね、食べたいものの返答に最後の方は困っていたように思います。
おいしいものは美味しいと感じます。ただ、これが食べたい!という欲求は、本当になくなっていくのです。

日本に戻ってきてからは食べたいものがややふえたように思います。
もしかしたら、日本食を思いきり食べて目覚めていくために、日本に戻ってきたのかもしれませんね。