明晰さ(Clarity)という癒し

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昔、矢沢あいさんの「NANA」を読んでいた時「ねえ、恋で受けた傷はどうやって癒すのがいいと思う?わたしはね、やっぱり新しい恋をするのが一番だと思うの」とかそういう台詞があって、ふうん、と思って読んでいたように思います。

話は変わって、先日マネジメントの採用面談で「相手の適性をどこで見ていますか?」と聞かれ「その人の興味関心の向いている方角」とお答えしました。
「同じ部署にデキる営業マンが1人いても、その人のやり方で全ての人が結果を出せるとは限りません。みんな物事の着眼点や考え方が違うからです。
興味関心の向いている方角というのは、がんばらなくても自然と探究心のはたらく方角です。だったら、そこがその人にとっての突破口だとわたしは思います」と。

どうも、自分の道というのはそういうものらしいです。
逆をいうと、仕事で背負った負債は仕事で返せる。講座をやって起きたアクシデントは講座で軌道に戻せる。そうはっきりと(Clarity)理解できるようになること本当の癒しなのでしょう。
 
実は冒頭の「NANA」のセリフを読んだ当時のわたしは(20代そこそこ)「いや、それは自分から逃げてるんじゃない?なんで傷ついたのかちゃんと向き合わないと」などと思っていました。痛みから逃げるように恋愛しても、それはきっと上手くいかないし、またこの子は傷ついてしまうのではないかと、そう思ったのです。
 
がむしゃらにやっている時というのは、何かから逃げるように頑張っている時なので、だいたい上手くいきません。いつまで上手くいかないか?というと、その「逃げている何か」とちゃんと向き合えるようになるまで。

その過程では、ちょっと別の物事に目を向けて見ることも役立ちます。
恋ばかりしていないで自分の没頭できる趣味を楽しんだり、生活環境をガラッと変えて全く価値観の異なる人たちとふれ合ったり。そうすることで気持ちに余裕ができたり、新しいものの見方を取り入れたり、少しずつ自分を客観視できるようになるのです。
すると、これまで現実にのめりこんでいた意識が少しずつニュートラルな場所へ戻ってくることができます。
 
その時、道が間違っていたわけではなく自己の認識がズレていただけだった、と気がつく時があります。意識が少しずつ変容していくのです。
そして、これまでは観測できなかった価値を現実に観測できるようになったりします。
気がつくのです。
何かが間違っていたわけではなく、ただ単に自分が自分のやっていることの価値を観測できなかっただけなのではないか、そして自分は最初から答を知っていたけれど、ただその場所からうっかり転がり落ちてしまっただけなのではないか、と。

冒頭の例で言うなら
 
「興味関心の向いている方角というのは、がんばらなくても自然と探究心のはたらく方角です。だったら、そこがその人にとっての突破口だとわたしは思います」

ああ、これってわたしのことじゃない?と思うわけですね。
人に伝えていることは、ほとんど自分に伝えたいこと。そう言う意味でも、自分を理解するために、沢山の人とコミュニュケーションすることは大切ですね。

他人に伝えたことを、すべて自分自身で実践すればいいわけですからvv


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