食事とエネルギー

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わたしたちは食事を通してそこにのったエネルギーを摂取しています。

ですので、自分のエネルギーが変わると今の自分に必要なエネルギーも変わり、味覚が変わったり、ほしいとかんじるもの、美味しいと感じるものも自ずと変わっていきます。
前はほしいと感じていたものが急にほしくなくなったり、前は美味しいと感じていたものが急にそうではなくなった、というのは、今の自分にはもう相応しくなくなった、ということです。大人はゆりかごには戻りません。
自分自身の意識が変わった証拠なのですね。

もちろん、意識が目覚めていく過程でわたしたちはこれまでより肉体の声を深く聴くようになりますから、その過程で自然と体に良い食事、体の喜ぶ食事というものに心惹かれるようにはなると思います。
食事を通して目覚めを深めようとするというのでしょうか。

そして、その段階を過ぎると、今度は同じ食事、献立、メニュー、食材でも、誰がつくっているのか、どこで提供されているのかによって自分の感じ方が異なることに気がつき始めるでしょう。
いわゆる、何を食べたかよりも、どんなエネルギーを摂取したかによって自身の感じ方は変化しているのだ、ということに気がつき始めるのです。
そして、そもそもエネルギーに良いも悪いもなく「今、自分にとって必要なエネルギーだったかどうか」それがおいしいと感じるかとうか、ほしいと感じるかどうかの分かれ目だったことに気がつき始めます。

自炊をされる方なら、自分自身の料理に飽きてきた、という経験をされたことがあると思います。自分のエネルギーを摂取してばかりだと広がりがないので、意識はマンネリを感じるのですね。
ですが対外的に忙しくなるあまり、自分自身を見失ってしまった時、わたしのホーム、一番大切にしていたことは何だったのだろう?と感じたときには、自炊は大きなヒーリングメソッドとなりうるでしょう。
料理を通して自分自身というエネルギーを補うことができ、誰にとっても最良の薬(=最も安心できるエネルギー)は自分自身のエネルギーなのです。自分に戻ることができるからです。
なお、おふくろの味を懐かしく感じるのは、それを食していた過去の自分自身(=どこかにおきざりにしてしまった過去の自分自身)が自然と思い起こされるからではないでしょうか。
  
日本のコンビニエンスストアでは、セブンイレブンは火の気(エネルギー)、ファミリーマートとローソンは水の気(エネルギー)が強いと感じています。
(ロゴマークの色がそれとリンクしているのはなんだか興味深いですね)

惣菜にもそれがあらわれていますから、火の気を補いたい方は前者に、水の気を補いたい方は、おそらく後者の商品に惹かれるのではないかと感じていました。
(実際、水のエレメントがないわたしの友人は後者推しらしいです) 
同じような商品を売っていても、それを通して補えるエネルギーが違うので、ほしいと感じるかどうかがわかれてくると思うのです。

また、こうしたエレメントの特性は企画力によくあらわれます。
一見似たような商品を売っていたとしても、火の気が強いとオリジナリティを追求しますから、ミスタードーナツで売っていたドーナツと同じものがセブンイレブンで販売されていると、そのドーナツはもはやミスドの「真似」を通り越してセブン「オリジナル」のドーナツに、対して水の気が強いと「模倣」や「再現」を得意としますので、ファミリーマートやローソンでは、ミスドの味を思い出すドーナツとなっているのですね。
 
変化が早く、時代の流れが一目でわかるコンビニエンスストアは、風の時代の象徴だと感じています。そして、世の中には火の気を補いたい方と、水の気の補充を必要としている方双方が存在しますから、双方とも必要な要素としてこの世にあらわれているのでしょう。

正に、火(か)水(み)の国日本、といったところでしょうか。