秘密の部屋

ずっとわたしの意識の奥にあった開かずの扉。
それが今、時々かすかに開こうとしているのを感じる。

これまでブログを書くことはわたしにとって自己表現だった。それゆえ、以前それを「魂のアトリエ」と表現したことがあったように思う。
アトリエは作品を展示する場所であり、そこにはわたしの体験や思いが形になったものだけが展示されている。そして、その場所は基本的に立ち入り自由だった。

ところが、新しいわたしが求めている形は少し違うように思う。
このエネルギーはまるで、自分だけの書斎にある秘密のノートを綴っているかのようだ。そこにはこれまでよりより高密度の創造の叡智がつまっている。

そんなものを公開してしまって大丈夫なのだろうか?と思うと、どうも基本的に閲覧は自由ではないらしい。

それは、限られた者だけが立入れる場所にある、鍵のかかったノートのようなイメージだ(最近やたらそういうビジョンを受けとる)。

もはやこれまでのようにわたし「が」何かを説明しようというフィルターが入らないので、自分自身の高密度なメモ帳をブログで公開するような感じなのだと思う。

つまり、わかる人にしかわからないブログになる。
それが一体「何を意味しているのか?」は、読み手が心に響いた文字を自分自身の魂で解読していくことになるらしい。

実際に制限されるのは閲覧という「行為」ではない。
本当に鍵がかかっているのは場所ではなく、その人の魂だからだ。
内側に鍵がかかっている=理解不能=閲覧しなくなる。「閲覧自由ではない」というのは、そういうことらしい。

もっとも本来叡智を降ろしたり伝えたりする役というのはそういうものらしく、わかる人にしかわからない言葉で書かれることが通例らしい。

それは、鍵をかけているのは自分自身であり、人には誰でも、その扉を開けたいと思う時があるため、その時が理解すべきタイミングということらしい。

しかしながら、これまでわたしには「理解してもらいたい」というエゴが残っていたので、それができなかった。

この魂にはこれまで何度かそういう役をやってきた人生があって「わかってもらいたい」しかしまた同時に「どうせわかってはもらえない」そんな何世紀かの葛藤が色濃く残っていたからだ。それは魂のカルマ(=やり残したこと)の1つであり、この人生で再び何かを語り始めた理由なのかもしれない。

ブログは新しくなるのだろうか。
それとも、別の形をとるようになるのだろうか。わたしはまだ、自分自身を理解しきれていない。