開かれた扉

こちらに戻ってきてから、周囲の人を見ていて何度か感じたことがありました。

「この人、人の話を全然聴いていない」

相手の話を理解しようとせず、一方的に自分の見解をまくしたてているように見える。
どうも怯えすぎて(自分の意見を相手に理解してもらいたい、まるごと受け入れて同意してもらいたい、という気持ちが強すぎて)、それと違う意見は聞きたくないように見える。
これは、何を話しても理解してもらうのは難しそうだ。

そんなことが何度かありました。

周囲の人にはいつも自分のシャドウ、つまり自分でも気づいていない自分自身が映っているので

「もしかしてわたし、人の話を全然聴いていないのかしら?」
「相手を理解しようとしていないのかしら?」
 
と思ったのですが、どうもなんだかピンときません。
ところが今日やっとわかりました。
 
「わたし、本当の自分の話を全然聴いていなかったんだわ」

そりゃあ自分の声が聴こえないはずだわ。
これまで自分の声を聴いて人生を歩んできたわたしは、ある意味途中から、完全に自分の声に導かれる人生になって、自分とつながっている状態、いつも本当の自分の声が届き、魂の意図を理解している状態がスタンダートになっていました。
 
そのことに完全に油断していました。

以前のステージは、もう終わったのですよね。
日本に戻ってきて自分とつながれない、自分の声がよくわからなくなったのは、より高次の意識とつながるようになって、これまでより、より深く精妙で繊細な声を聴く力が求められていたから。
それを受けとり理解するだけの感受性が、まだわたしには十分に育っていなかったのです。(器が整っていなかったともいえる)

おかしいな、と思っていました。
だってこれまでも何度か日本には戻ってきていて、その時は、いま振り返ると自己一致が荒かったな、と感じる部分はあれど、その時なりに一致していた=自分の選択に迷いはなかったからです。
環境が変わったことが原因で、自分の声が聴こえなくなったわけではなかったのですね。もしかしたら、外界の影響によって自分自身がどうにかなる、ということは本当はないのかもしれません。 
(外界からの影響すらも意識の見ている夢であるということ)
  
自分の声を聴くレッスンをやってきたはずなのに、完全に過去にとらわれ、油断していました。自分の声を見失ってしまったこの半年間、振り返ってみると、まるでラピュタに出てくる竜の巣にいたように感じています。
 
もっと心を開いて、わたしたちの贈り物を受けとってください。

そんなメッセージとともに、扉が開かれるビジョンを受けとりました。開かれた扉の先には、真っ白い階段がのびていた。

贈り物とは(Present=今この瞬間)のこと。
今という瞬間に対して心を開き、心からそれを受けとめたら、次にすべきことが降りてくる(見える、わかる)。それを忠実に受けとめ実行すれば、また次のビジョン(次にやるべきこと)が降りてくる。
こうして次元上昇の階段は開かれる。
 
そうそう、そうでしたね。この新しい次元にプロセスはないのです。まるで毎瞬、毎瞬、瞬間をジャンプしているような状態。

今こうで、今こうで、今こう。みたいな。

忘れてたわ〜。

道を見失ってしまう時は、意識が外向きになっている時。
もう一度、意識のサーチライトを自分の内側に向け直す時なのです。

だって、本当の道は目には見えないんだから☆

ということで、ビックたまカンパニーの冒険〜日本編は、これにて一度幕を閉じたいと思います。Fin.という言葉が見えたから。
日本でのわたしのあれこれを見守ってくださり、本当にありがとうございました。

ブログはまた書くことになるかもしれませんが、とりあえずここは、一度さよならを。
 
というのも、よく小説や物語の終わりに「この後、〇〇はこういう冒険をすることになるのであるが、それはまた別の物語、別の時代のお話である」というフィナーレがあるじゃないですか?

なんか今、そんな感じみたいなんですよね。
次回はどんな冒険が待っていることやら。
 
それでは、またお目にかかる日まで、しばし?のお別れです☆