そういえば創造主だった件

以前、わたしのカルマはお金と家族である、という話を書きました。

自覚できているレベルではもう1つあって、それは権威。

カルマという言葉を使うと難しく響くけれど、要は意識が外向きになってしまうポイント。目覚めを意識し始めた後も、「そうはいってもこれだけは別よね」となりやすい、眠りの深いポイントです。

今日コンビニエンスストアの仕事で「あ、これってどうするのか店長に確認しなくちゃ」と思って、はっと我に帰りました。

「いや、今、自分がどうしたいかだよな。。
 だってわたし創造主なんだし...」

これぞ眠り。。笑
 
自分と一致して「うん、今、だれそれに話を聞こう」となったなら、それは、もちろんそうすべきところ。
ただこれは、わたしはあまり体験したことがありません。
そもそも、質問と答えは同時に存在するので、自分とつながっていれば、疑問に思ったことの答はその場で来る。
「確認すべき」といっているのは、だいたい思考なのです。

魂は自分の世界を自分で創造していますから、今、自分が「このチキンをこれだけ補充したほうがいい気がする」と感じるなら、補充した分だけチキンが売れるとか、それにふさわしい展開がこれから起こって来るので、そこに正解も不正解もないのです。
「こういう流れが来るよ」という創造主としての予定が、ビックたまネットワークを介して直感として降りてくるのですね。

なのに、そこに「上司の見解を聴いておいたほうが良いよな」という恐れからきた思考を挟むと、自分軸がズレてその分現実の展開も変わってきます。
直感通りにスムーズな展開が起こってくるのではなく、自我を挟んだ分、エゴの頑張りでカバーが必要な展開が起こってくるわけです。

正にこの世界は鏡!「あ、がんばりたいんだね、じゃあちょっとがんばれる展開つくってみたよ〜」という感じでしょうか。

現実をうまく行かせるためではなく、自分と一致するためにそれをやる。
それが目覚めのスタンスだったはずなのに、たった今、現実が滞りなく流れるよう上司に確認を取ろうとしている自分に気がついてしまったわけです。

お金のことだと、自分と一致を忘れてzzz
家族の前では、自分と一致を忘れてzzz
偉い人の前では、自分と一致を忘れてzzz

もうこれ、根こそぎ外しちゃおうぜ😎ということになってますな。