あの森を探して

テレビを見ていたら、今日の事件についての政界の反応が特集されていて、その中で1つだけわたしの内なる水のエレメントが共振するコメントがあって、うるっときてしまった。

そうなのだ。自分とつながった真のメッセンジャーに対して水のエレメントが共振する時、わたしたちは『自分の思いを代弁してくれてありがとう』と感じる。
なぜなら、わたしたちは深い部分でつながっているから。
この人は1なる思いを語っている。そう感じてしまうものなのである。

集合意識が揺れて、また新しい意識の扉が開いたように感じる。

過去生が思い出される経験というのは、わたしにとって、今の現実がわたしという意識の見ている1つのテレビ番組だとしたら、何かの拍子に「自分」というテレビの横で上映中の別の番組の記憶(ストーリー)が垣間見える。そんな感覚に近い。

無論、その番組は別の人間が主人公なので他人のストーリーでもある。そして、こっちはこっちで展開中なのであるが、あっちはあっちで上映中なのである。

横にあるテレビはその時々によって違う。だいたいこっちで上映中のドラマと似たようなドラマを放映しているか、同じようなステージで躓いていたりする。

あの国に帰りたい。
故郷に帰りたい。
 
そんな思いが前触れもなく自分の内から出てきた時「そうか、わたしはやっぱりドイツに帰りたいのか」と感じていた。
しばらくして、自分の思い描く今世のドイツと、そこで思い描かれる故郷が少し違うことに気がつき「あれ、これはいつの時代の思いだろう」ということに気がついた。

記憶の中の故郷は森だ。その頃わたしは、いや、この人物は森に暮らし、自然と対話をしながら生きていた。全ては1つであることを自然と知っていた。森はわたしであり、わたしは森だった。世界と自分は同じ1つの存在であり、その人の中のわたしは世界を愛していた。

だけど...

何らかの理由で森を追われた、、いや、焼かれてしまったのだろうか。
ある時、全てを失う時が訪れた。全てを愛していたら、全てを失った。そして、世界と自分は同じ1つのものだったので、わたしの魂は半分になった。半分焼けてしまったのだ。残り半分は、もうどこにもなかった。
 
そういう夢(ストーリー)だった気がする。
わたしは自分の半身を、あの世界(つまり過去生)においてきてしまったのだろうか。もしかして、ドイツにはそれを取り戻しに行ったのだろうか。

そういえば、わたしの思い描くドイツはなぜかいつも森の国だった。
しかし実際にドイツで森に行ったことは数える程しかない。そして、そういうとき訪れる森はだいたい山で、わたしの記憶の中の森とは違っていた。

あの森はどこにあるのだろう。
記憶の中の森とドイツのエネルギーは似ているような気もするが、もうないのだろうか。
それとも、森のオーケストラをやってみたら、わたしはまた何か思い出すのだろうか。

新しいRPGは、まだ始まったばかりである。