土台づくりのとき

「森のオーケストラ」のビジョンをカミングアウトしてから、かつての音楽仲間と1人、また1人と再会する流れが来ているように感じます。

ゆっくりと、でも着実に何かが変わりつつあるような...

仲間と再会することがどう未来につながっていくのかはわかりませんし、もしかしたら直接的には関係ないのかもしれません。
(そのメンバーがオーケストラに入るとは限らないということ)
 
ただ、ここ最近学びつつあることは、大きなビジョンが形になっていく時というのは、何事も「土台づくり」が大切なのであり、今年はわたしにとってその土台づくりの1年になる、いうことです。
 
「土台づくり」の時期というのは、実は自分自身の「器づくり」の時期のことです。

この世界では、何を選んでも今の自分の器に見合った創造(クリエイション)しか起こせません。

そして、一時期わたしは自分のインスピレーションを講座にしてポンポン生み出していたので「な〜んだ、生み出すって結構簡単なことだったんだ」と、どこかで勘違いしていたようなのですが、どっこい、実はその前に、ちゃんとそのための下積み期間はあったんですよね。だって目醒めのキャリア講座の前に、教材を準備する講座を5年ほどやっていましたから。
 
さらに振り返ってみると、ドイツで就職する前は、その前に3年ほど日本で働き、現地で自由にやりたいことに挑戦できるだけのお金と社会人経験を積み立てていましたし、やりたい仕事につく前にはできる仕事を7年つづけ、そういえば独立してから初めてのグループ講座を形にするまでにも、なんだかんだ1年ちょっとはかかっていました。

これってどういうことかというと、魂的には

しかるべき時のためにちゃんと準備をしていた😎

ということになります。

物理次元での準備(お金や仕組みづくり)もさることながら、実は最もキーポイントとなるのは、当人の器の準備です。
 
例えば、ドイツで働く前に3年ほど日本で働いた経験は、かつての私にとっては「いやいや、そこまで頑張らなくても...」 といった経験だったのですが、ある意味それだけ頑張ったからこそ精神的に強くなり、大好きなドイツで羽根を伸ばすことを自分に許せるようになったともいえます。

もちろん、根っこがわたしほど頑張り屋さんの人でなければ、そんなに頑張らなくてよかったと思いますよ。人生楽してOK。でも世の中には、そのくらい頑張らないと自分を許せない人もいる(笑)わけで、誰かと客観的に比べたら「いやいや、そこまでせんとも...」と思うような経験も、当人が成長するためには必要なプロセスだったりするわけですね。

もしもあの3年の準備期間がなかったなら、おそらくドイツで夢を叶えた経験は、わたしにとって全く別次元のものになっていたであろうことが想像できます。同じ体験にはならなかったでしょう。

素晴らしい経験になったのは、ちゃんとそれなりに準備できていたから(起こってくる様々な出来事を自分なりに楽しみ、昇華し、正解に変えていくだけの柔軟性や適応力が備わっていたから)なんですよね。
準備期間がなかったら、案外ショックの連続やホームシックになっていたかもしれません。

だから、上手くいかなかったから失敗?とか、やりたくないことをやっていたから黒歴史?なんて、実はとんでもない!!のです。

どれか1ピース(1つの経験)が欠けても、このクリエイションは起こせなかったな、とわかる時がやってくるからです。