他人はいない

何か「え?」と思うタイトルですが、女性性を解放するステージで大切なプロセスだと思います。
 
他人ゆえに思い煩い、他人がいるゆえに恐怖する。これが私たちの思考ですよね。
でもそれは、目覚めの視点から捉えると、客席のわたしたちが映画の登場人物とパワーゲームをしているようなものです。

ここ最近の学びは

他人なんていないから、心から安心してくつろいでいいんだよ。
他人だと思ってたものは、実は全部自分自身なのだから。

もう、誰の期待にも応えなくていいんだ。

もう、誰の感情の責任もとらなくていいんだ。

もう、誰の感情も引き受けなくていいんだ。

というもの。

この3つの点について、わたしは常に意識が外向きで、いつも無意識に他人の期待に応えようとしているところがありました。
そうしようとしているから、期待に縛られる現実を創造していたわけです。納得です。

そしていつも無意識に他人の感情を引き受けていた。
しかし、そんなことしなくていいのです。

相手はその感情体験を無意識に楽しんでいるだけなのだから、登場人物の視点に入って何とかしようとしないこと。相手が自分の責任でつくり出した感情をあるがままに祝福してあげればいいのです。
それは自分の責任であると、その人も深い部分では理解されているのですから。

同時に、自分の感情の責任を自分でとれない人とは、距離を取り、縁を切ること。

自分の感情の責任を自分でとれない=魂視点でみるなら、既に完全体であるその人が、責任をとりたいと思っていないということです。他人にぶつけてばかりで甘えている。

そんな人とずっと一緒にいてゆるしてあげることは、その人を甘やかすことになります。無意識に「ゆるされる」と勘違いさせてしまうのです。

これは自分自身のパワーをすり減らし、尊厳を傷つける行為です。
 
わたしは直近の過去生でこのパターンを培っていたようで、正に歩くダメ人間製造機のようなところがありました(笑)。
その時は、DVを受けてずっと許してたみたいなんですよね。 

そのため今世でも、他人をゆるすことは比較的楽〜なのですが、自分自身を許すことはムズカシイ。また、カウンセラーというと聞こえはいいけれど、一部の無責任な人たちから、やたらと感情をぶつけられる、という体験を創造していました。

もう、そんな人たちが、わたしと付き合うことをゆるしてはいけません。

自分の感情の責任すら自分で取れないなら

人生、出直してこい!!