サレンダーとあきらめの違い

サレンダーとあきらめの違いは、力加減。

体や呼吸に意識を向けてみるとわかります。

あきらめは、まだちょっと力が入っている。わたし「が」あきらめているから。
あきらめを、やっている誰かがいる感じ。

サレンダーはその力みが全然ない。

例えば、カバンを盗まれる夢を見て、必死にそれを追いかけて、はっと目が覚めたら夢だった...という時。

どうなります?

な〜んだ夢か〜...ってなりませんか?

ホーって感じですよね。リラーックス。おどかさないでよ〜、でもほっと一息。

そんな「な〜んだ夢だったのか〜」という安心感がおなかにある時、心からの安心感がおなかから湧き上がってくる時、あなたは現状にサレンダーしています。

「全部夢(=幻)だから大丈夫なんだ〜」の感覚。

わたしが初めてそう感じたのは2021年の冬至の日で、本当に「全部夢だから大丈夫なんだ〜」という感覚でした。
 
目の前の現実が全て夢だとしたら、どんな感覚ですか?
なんにも握りしめなくていいんだとしたら?(夢って細部まで憶えてないよね?)
 
サレンダーすると現実と自分の間に距離ができます。スペースができます。そして、現実を手放すことで生まれたスペースから、全体性(大いなる流れ)が介入してきます。
全て良きに取り計らってくれます。

サレンダーすると、コントロールが入りません。
「な〜んだ夢か〜」と心から安心して見ているからです。その時初めて、大いなる流れは介入できるようです。