先日父と食事に行った際のことです。こんなやりとりがありました。
「大成功とはいわずとも、十分なお金を稼いで、せめて平日の昼間にこういうところに食事に来る中流階級以上にはなりたいよなぁ」
「う〜ん、でもわたし、今、最底辺にいるけど、人に恵まれて幸せだよ」
「いやいや、普通は借金し始めたらみんなそこで沈んじゃうんだよ」
「わたしだって沈んだよ!(笑)。そしたら、お父さんはじめみんなが『つかまれー』って浮き輪を投げてくれたんだよ」
父は「そうか〜」と笑っていましたが、その瞬間、はっとわたしの内に気づきの光がさしました。
そうか、そうなんだ。
それが魂の計画なんだ。
これは、自分の力でなんとかしようとしちゃいけない問題なんだ。
その瞬間、これまで就活をしていた自分の根底に「自力でなんとかしよう」という力みが残っていたことに気づかされました。この「自力でなんとかしよう」という力みの残ったスタンスには、全体性は介入できないのです。
夢には2通りの叶え方があります。
1つは自分の力でそれを形にしていく方法。そしてもう1つは、他人の力でそれを形にしてもらう方法。
どちらが良い悪いはなく、どちらも私たちにとっての喜びです。
自分でそれを叶える喜び。
他人にそれを叶えてもらう喜び。
そしてどちらも厳密には、意識が今ここという自分の中心点に在る時(創造主の場所に在る時)、自然と起こってくるプロセスなのです。
自分と一致していると、自然とそうしてしまったり、それが起こってきたりする。どちらの流れが起こってくるかは、全体性における今のあなたの役割によって変わります。
あなたが叶える役ならきっと行動を起こさずにはいられなくなるでしょうし、叶えてもらう役なら行動を起こす気にはなれない。
これは与える役と与えられる役、助ける役と助けられる役にもいえることで、全ては全体性という創造エネルギーの戯れから生まれる1つのシナリオであり、その流れと一致していればわたしたちは自然と流れに乗っていくことができるのです。
先日、カルテット仲間と選曲してい時に、ポロっと「わたしの本命はベートーヴェン」ともらしたところ、こんなやりとりがありました。
「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、何番をやりたいの?」
「本音をいうと、4番から13番まで全部。このままじゃ死ぬまでに終わらないかも、と思ってドイツでもカルテット結成しようか迷ったほど(笑)」
「あやちゃんの野望、さすがですね!おつきあいしますよ」
「本命はベートーヴェン、わたしもそうかも」
夢を叶えてもらう、というのは丁度こんな感覚で、自分の本当の気持ちを表現しただけで、仲間がそれを叶えてくれる。
カルテットなんてわかりやすいと思うのですが、自分一人では何もできないのです。(4人揃わないとカルテットにならないから)
つまり、後者のターン(夢を叶えてもらう役回り)にある時というのは「その夢は、あなた一人のものではないですよ」「みんなの思いが形になったものが、あなたのもとに最初に降りてきただけなので、みんなで叶えてくださいね」ということなのであり、今、そういう役回りの人はふえてきているのだと思います。
同じように、世の中には「その問題は、あなた一人のものではないですよ」「みんなの学びのために起こってきたギフトなので、みんなで解決していってくださいね」という出来事もあり、それが「物事には全て解決すべき時があるのだから、自力でなんとかしないように」ということなのでしょう。
そしてこれはおそらく、これからわたしたちが夢を叶えたり、問題を超えていくプロセスにおいて、とても大切な着眼点なのかもしれません。
つづきます。