全て、必要なことしか起こっていない

東京はまだ台風通過前なのですが、昨日の前線でだいぶ色々な気が流されたように思います。

今日になって『全て、必要なことしか起こっていない』『お金を返せないときは、そうである必要があるからそうなっている』という感覚が起こってきました。
同じように仕事が見つからないときはそうである必要があるからそうなっていて、何かが上手くいかないときはやはりそうである必要があるからそうなっているのでしょう。

そうであることで引き出される感情があり、それを手放した先に起こってくる目醒めがある。体験することでしかその目醒めは起こってこない。

そうすると本当に、全てはあるがままでいい、というか、起こるべくして起こっていることしか存在しなかったのですね。

お金のことでいえば、もしもわたしがお金を貸す立場だったら、ゆるすことは少し簡単だったかもしれない。
なぜならわたしは「他人をゆるす」という学びを過去生でかなりやってきたみたいだから。
ゆるすことはゆるされること、と無意識に知っている以上、腹は立っても「まあ払えないなら仕方ないよね」「ああ、損したな」で終わっていた可能性はかなり高い。

実際、営業時代、滞納金の取り立て業務ではそんなに怒れなかった。
「本当にお金がないのかもしれないよ」「あったら払ってるって」と話すわたしに対し「いや、あっても払ってないことがある」「払えなくなる前に返してもらわないと」という上司に、おそらくわたしはお金があったら全て払ってしまう人で、彼はあっても(後先考えて)払わないことがある人なのだろうと感じていた。

そしてもっといってしまえば、ある時ある場所で純粋な好意から貸した恩は、思わぬ形で世界から返ってくる。それは別のとき別の人という窓口を通して。
そういうことを無意識にわたしは知っていて、実際そいういう体験を何度もするくらいわたしの人生は恵まれていたと思う。

でも今世の学びは「自分をゆるす」。
厳密には「他人をゆるす」も「自分をゆるす」も同じことなのだけれど、ゆるしの境地に到達するのに他人という窓を通るか、自分という窓を通るか、得意なルートというものはあるらしい。

自分ルートが圧倒的に苦手なわたしは、これからも「ああ、やってしまった」という体験はするのかもしれないけど、それはそれで予定してきた学びの道なのだと思います。

もっと力を抜いて、人生をあゆんでいけたらいいなと思います。


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