星くずの叡智 森のささやき

元ドイツ在住キャリアカウンセラーの日記

全て、上手く行っていいですよ

まだコンビニエンスストアで働いていた頃、興味深い体験をしました。

もう契約も終わろうとする頃、なぜか突然、シフトをふやしたくなったのです。
それまでは週20時間程度がのんびり、かつ生活リズムもできていいなぁと思っていたのに(ナマケモノ😌ゆえ)、なんだか最近、もっと働きたい。
うまくいえないけど、なんだかシフトをふやしたいぞ!と感じていたのでした。

ところが、お店に行くといつもそのことを忘れてしまうのです。
シフトが終わり「おつかれさまでした〜」と店を後にする頃、あるいは家に帰った頃になって「あ、そういえばシフトふやしたいっていうの忘れちゃった」と気がつくのでした。
 
そんなある日、店長から突然「来週の予定は?」と聞かれる日がやってきました。
「あ、そういえばシフトふやしたいんだった」と思い出したわたしは、とっさに「来週、結構入れますね。毎日入ってもいいくらいです」と返答。すると「本当?じゃあ月〜金まで全部入ってもらってもいい?」という話が舞い込んできました。

なんでもその週は珍しく店長が休みをとれそうである、とのこと。
その時は「ぜひ休んでください」と了承したのですが、後になって実家のご家族が他界されたとの知らせが届き、店長は遠方へ帰省されることになったのでした。

全てのニーズがつながり、あるべきものがあるべきところに収まった。これは偶然なのだろうか。わたしの元には、そんな感覚と疑問だけが残されました。

導かれた答は「シフトをふやしたい」、これは、全体性によって抱かされた望みであるということでした。わたし「が」望んだというより、ワンネスである魂がそうであることを望んでいたのです。全てのピースをあるべきところに収めるために。
 
わたし個人がお店に行くといつもそのことを忘れていたのは、それがまだ、伝えるべきタイミングではなかったからでしょう。
物事には全て起こるべきタイミングがあるようです。
コンビニエンスストアの店長職というのは非常に忙しい仕事で、よっぽどの事情がなければなかなか休みを取らない方もいらっしゃいます。
仮に休んでもいい流れが全体性を通して起こってきたとしても、個人意識で「いや、自分は休めない」と思っていれば、わたしたちはその流れを受け取らないこともできるのです。(全体性のオファーを受ける、受けないは自由意志だから)
 
時は変わり、先日オーケストラの練習の出欠登録をするにあたって、わたしは「譜読みが間に合うかどうか」を心配していました。
オーケストラの練習は、通常前もって楽譜が配られ、それを1人1人がある程度弾き込んでから練習に参加します。ところが最近めっきり楽器を弾いていないわたしは、最初の練習までに譜読みが終わるかどうか心配していたのです。
  
そこで出て来た不安を統合し「まあいいや、間に合うと決めよう」と意思を統一した途端、また面白いことが起こりました。

なんだか、急に楽器を練習したくなったのです。(笑)

それまでは「練習しなきゃな〜」と思いつつ全くその気が起きませんでした。
不安を握りしめたまま、不安になる流れをわざわざつくっていたのです。

それが「間に合う」と決めた途端、それにふさわしい流れが起こって来た。
まるで本当の望みに意識の照準を合わせた途端、起きてきた流れがわたしをするりと運んでくれたかのようでした。

これはつまり、最初から安心して全てを流れに任せていれば、全てはうまく運ぶのに、わたし個人が疑いや不安を使って抵抗していた、ということになります。
「いや」「でも」「だって」「わたしはこの程度だしな...」と。

自分でやることは何もなかったのです。
自分「が」それを達成する必要はなく、本当の望みに意識の照準を合わせたら、あとはそこまでの流れがわたしを通して起こって来るので、そこに安心して身を委ねればOKだったのですね。

うーん、奥が深い。
まだまだ沢山抵抗していることがありそうです。
 
ということで先ほど決めました。
「全て、上手く行って良いですよ✨」と。