白いサソリ

汚れた部屋の掃除をしていたら、自分の中から「白いサソリ」が出て来る夢を見ました。

サソリはわたしの顔の上を歩いていったので、夢の中ではもう気絶寸前。
しかし、夢の中のわたしには2つの意識があり、1人の自分はサソリをとても怖れていましたが、もう1人の自分はとても落ち着いていて、何も怖がる必要はないと知っているようでした。
なぜかというとそのサソリは「白いサソリ」で、毒を持っていないと知っていたようなのです。

わたしは夢の中で「ああ、これは夢だわ」と気づくと、意識が現実に戻って来る傾向があるのですが、今回はそんな感じで、半分は恐怖に眠ったまま、半分夢から覚めた状態で目が醒めました。

サソリはわたしにとって蠍座を象徴しているようでした。

では、サソリの毒は何を象徴しているのでしょうか。毒を持っていない白いサソリというのは。

神話や占星学は象徴的に描かれていますので、このあたりは自分でしっくりくる解釈を見つけなくてはなりません。
夢を自分に見せているのは自分自身ですし、そのシンボルは自分にしかわからない形で描かれることも少なくないからです。

調べてみたところ、わたしにとっては「蠍の毒は他者への批判精神や支配欲の象徴で、蠍座はそれを克服することが問われる」といった解釈がしっくりきました。
「他人をコントロールしたがる自分を癒す」というのは、長年わたしの向き合って来たテーマだったからです。
 
他人をコントロールしたがる自分が自分の内に残っている内は、わたしたちは誰かに何かを強制されたり、説教をされたり、押さえつけられるような体験をします。
他人が自分を変えようとして来るのです。

なぜかというと、自分の中に他人をコントロールしよう=他人を変えようとしている自分自身がいるので、それがそのまま現実に写るのですね。

その時、それに反発するのではなく「ああ、これはわたし自身なのだわ」と気がついて自分自身を癒すことに意識を向ける。蠍の毒はそうやって昇華されるのだと思います。

他人をコントロールしようとしている自分に気がつかないうちは、蠍の毒は自分自身も破壊してしまいます。周囲の人間関係を自分自身で破壊していることに気がつけないのです。
その学びを終えると、今度は自分を変えようとしてくる他者(=自身の投影)との関係性を問われます。投影に反発しているうちは、自分の潜在的な毒(=支配欲求)は癒されないままですから、やがてそれは自分自身と現実を蝕んでゆきます。

白いサソリ(=毒の昇華された蠍)が自分の内から出て行く、というのは、まもなくその学びを終えようとしてますよ、というサインだったのかもしれません。

わたしは生まれた時の天空図で、苦手意識を象徴する土星が蠍座にあり、これまでは講座を主催することで、そんな自分を癒してきました。
キャリア講座というものを主宰すると身につまされます。

「他人の成長速度をコントロールすることは決してできない」
「コントロールしようとすれば、それは他者の自発的な学びを阻害し、可能性を破壊してしまう」
「自分以外の何者かをコントロールできると思うことが思い上がりである」

自分が自分自身の望みを満たしていくことに全集中できるよう、自分をコントロールできるようになると、他人を変えたいといった思いは少なくなります。

そして、誰もが自分で自分の望みを叶えることだけに集中できれば、世の中はもっと平和で満たされた世界になるように感じています。