また自分のためにブログを始めたいな〜と思いまして、サブブログがオープンしました。
タイトルはこっちが「星くずの叡智 森のささやき」になって、向こうが「導きのコラール 海の贈り物」。
URLもGermanyからJapanに変わっています。笑
何気ない日常と、人目を感じないモノローグを書けたらいいなと思います。
また自分のためにブログを始めたいな〜と思いまして、サブブログがオープンしました。
タイトルはこっちが「星くずの叡智 森のささやき」になって、向こうが「導きのコラール 海の贈り物」。
URLもGermanyからJapanに変わっています。笑
何気ない日常と、人目を感じないモノローグを書けたらいいなと思います。
わたしは早稲田大学出身で、早稲田はもともとあまり興味のなかった大学でした。
早稲田で学びたいと思ったきっかけは、なんとなく参加したオープンキャンパスでした。
3人の在校生の主宰するキャンパスツアーで、一番最後に校歌の大合唱がありました。
人通りの多い校門前で、大勢のキャンパスツアー参加者たち(年齢層はバラバラ)に向けて、人目をはばかることなくたった3人で大合唱するその姿を見て(しかも別に上手いわけではない)、びっくりすると同時に「いや、誰もそこまで頼んでない..」と一瞬恥ずかしくなった記憶があります。
しかも1番から3番まで熱唱されて、(キャンパスツアーは)歌が終わるまで解散にならない。。
他人のフリができないじゃないか。。(汗)
でも、学生たちの歌を聞いている内に、とにかく母校がものすごく大好きなことは伝わりました。そして、彼らはわたしと違ってとても楽しそうでした。
思ったことは2つありました。
1つは、自分の好きなものを、こんな風に人前で堂々と好きといえるのは、幸せなことなんだろうな、ということ。
もう1つは、わたしもこのくらいバカになれるくらい、好きなものに夢中になれる人生を歩んでみたい、でした。
人目が気にならなくなるくらい好きなものに出会って、バカになりたい。
そう、わたしは、バカになるために、早稲田に入りたいと思ったんです。
大学って普通は勉強するところでしょ?
勉強するだけだったら、バカにはなれないじゃないですか。
でも、ああ、バカだな...😓、と思うくらい好きなことに夢中になっている学生がいる所なら、それができるんじゃないかと。
もちろん勉強はできてもいい。便利な所もあるからね。
でも、勉強ができても、たぶんわたしは幸せにはなれない。
そうことが、当時のわたしには直感的にわかっていました。
本当に幸せになりたいなら、本気でバカになることを学ばなくちゃ、と。
この目論見は大成功だったように思います。
在学中も、大学卒業後も、その後の人生は沢山の夢を叶える人生になりました。
でもね
・オーケストラでチェロを弾いてみたいという夢を叶えたから
・いつかドイツで働きたいという夢を叶えたから
・本当にやりたいことを仕事にできるようになったから
幸せだったんじゃないんですよね。
それは表向きの夢だったから。
本当は、自分が自分の本当に生きたいようにように生きられるようになったこと、が幸せだったのです。
つまり、自分の好きなことや、やりたいことのために、バカになれるくらい夢中になれたことが、本当の喜びだったのだと思います。
表向きの夢(=具体的な目標)はいつも、裏の夢(=真に望む生き方)ができるようになった結果実現する形だったりする。
夢の実現を通して、本当の自分の生き方を思い出す。
人生ってそういうものなのかな、と思います。
どこにもいないよ。
ただ、君の思う "キミ" が、毎瞬、毎瞬、創造されているだけだ。
キミは創造されたキミ?、それとも、創造した君なの?
現実を動かすにも力が必要になるんだ。
今日、わたしは、どれだけ "今" に委ねられただろう。
"今" という流れに道を譲ることができたんだろう。
手持ちのチェロをメンテナンスに出そうと思います。
壊れているわけではないのですが、楽器のためのマッサージですね。
その時ふと思ったのですが『わたし』という楽器もメンテナンスのかかる時期のようです。
現実で起きていることは、いつも内面で起きていることだと、以前内なる自分からいわれていましたっけ。
弦楽器は4本の弦の内、1本の弦の音を調律すると、隣の弦の音も変わってしまいます。
弦の音の高さは弦の長さで決まるのですが、4つの弦はいずれもテールピースと呼ばれる同じ部品で長さを調整しているので、1つの弦をより強く張ると、テールピースがそちらに引っ張られ、他の弦の長さも変わってしまうのだと思います。
つまり、1本の弦を調律した後は、他の弦も改めて調律し直す必要があるということです。
(仮に先に調弦されていたしても音が変わっていたりするから)
てっきり4本の弦はそれぞれ独立していると思っていたわたしは、昔チェロの先生に「それは当然のことですよ」と云われてとてもびっくりした記憶があります。
全てはバランスで成り立っており、影響し合っているので、1つの弦の調子が変わると、他の弦の調子も変わってしまうのですね。
隣の調子が狂っている時は、自分の調子がもともと合っていたとしても、改めて調整し直す必要がある。より大きなハーモニーを奏でるために。
わたしたちもそうなのだと思います。
本日、こちらの並木さんのワークショップにオンライン参加させていただきました。
並木さんのWSに参加させていただくのは実は2回目で、むかし昔、まだドイツに住んでいて独立したての頃、一度だけ日本帰国中に参加させてもらったことがありました。
当時は独立したものの一般的なビジネスセミナーの手法がどうしても合わず、かといって仕事に活かせるほどのチャネリング能力(自分とつながる力)も芽生えていなかった、暗中模索の時期だったように思います。
今日のワークショップでワークをしていたら、本当の自分の記憶が色々蘇ってきました。
わたしはキャリアカウンセラーとしての活動を終了してから、ごくフツーの会社員をやっておりまして、目覚めのセミナーからもしばらく遠ざかっていたのですが(かわりに簿記講座の抽選に応募したりしていた)、昨年の冬至前から、再び目覚めに心惹かれる時期がやってきたのでした。
どうも、フツーの会社員をやりきる必要があったようです。
(やりきってなかったんかい!)
そして明かされた『他力を頼る』の本当の意味。。
(わたしはまだこの時就職した会社で派遣社員をやっています)
他力とは、本当は自力のことだったのです。
他人を映し出しているのも自分だからです。
他力を頼るとは、まさにここに書かれていた通り『天に委ねることを思い出す』ことでした。
自分の意図をあげて、それが他者によって運ばれて形となることを信頼すること。
本当の自分のつくり出す大いなる流れを信頼するということです。
今日のワークショップでは「高次の存在に自分の人生に介入してもらうよう助けを求める」というお話があったのですが、それを聞いて思わず「いや、介入してもらってまで叶えたい夢とかないしな..」と抵抗を感じてしまった自分がいました。
で、思ったんですよね。
いや待て、高次の存在っていっても結局は自分だよね。
全て自分で映し出しているんだから。
そもそも本当の自分には、助けを求めたんだっけ?わたし。
・・・・
・・・・
求めた記憶なし(笑)
そもそも介入頼んでなかった...
ノーオーダー(笑)
新しい絵本、注文してなかったよ(笑)
自分で創った現実だし、自分でなんとかするかな、と思っていた気がする。
(どんだけ苦労人根性...)
いやいや、自分で創った現実なんだし
本当の自分になんとかしてもらうよう、まずはオーダーしてみろ?
そういえばわたし日本に戻ってきてから、あまりチャネリングできなくなったのですが
介入求めていなければ、情報も降りて来ないか。笑
自分でなんとかする気が強すぎて、そもそもこうなってほしいとか、意図をあげていなかった気がする。。
なんとかするか🔥>こうなってほしい🌟
我ながら男前である。
そうそうわたし、意識の左側の回路がズレてるように感じるのですが、どこかの人生で、望みをあげる回路(左側の第3チャクラ)を意図的にズラしてしまったみたいなんですよね。
ズレてないと、苦労できないから。
その時わたしは、どうも苦労という体験をしてみたかったようなのです。