ミッドライフクライシス2

自分自身から試されるミッドライフクライシス。この時期天空上にあらわれる象徴的なアスペクトはいくつかあるようです。例えば

1 ネイタル冥王星とトランジット冥王星が90度の角度をとる(破壊)
2 ネイタル海王星とトランジット海王星が90度の角度をとる(五里霧中)
3 ネイタル天王星とトランジット天王星が180度の角度をとる
 
*ネイタルは「生まれた時の」トランジットは「運行中の」という意味

他にもネイタル土星とトランジット土星が180度になる時等々、調べればきりがないのですが、今世まだ体験していない現象を読み解くことはここでは控えます。
 
今日は「今回わたしは今の星回りをどう読んだか?」という話なのですが、先日自分の生まれた時の星と運行中の天体の関係性を調べてみたんです。



1(破壊)と2(五里霧中)が同時に起こっています。
1が現実世界での激しい変化を象徴してるとすると、2は意識の中での変化。この先のビジョンが見えなくなる現象を象徴しています。
冥王星と海王星は非常に動きが遅いので、今後もしばらくはこのままでしょう。

ここからはわたしの解釈なのですが、この2つが同時に起こるということは、過去への執着と未来のビジョンを同時に手放せる時期、つまり、何もしなくても自然と現実と距離ができる時期、いわば目醒めの大チャンスを迎えているということになります。
 
また、わたしの世代(82年生まれ前後)は生まれた時の天空図で、土星と冥王星がコンジャンクションもしくはオーブわずかで近くに位置している世代です。

ミッドライフクライシスで生まれた時の冥王星と運行中の冥王星が90度の角度をとる時、生まれた時の土星と運行中の冥王星も90度の角度をとります。



つまり大変化が起こるだけでなく、現実世界における精神的なプレッシャー(土星)も極めて大きくなることを天空図は象徴しているわけです。

ただ、そもそもこのクライシスはなぜ起こるのか?、否、なぜそれを自ら設定してきているのか?といわれれば、やっぱり魂の底力を呼び覚ますための目覚まし時計だと感じています。
(土星冥王星が重なっているなんて、限界値無限大ですね🤣)
 
なので、冷静に読み解けば必ず自分でどこかに抜け道をつくってあるはず。そう考えるとちょっとワクワクしてきませんか?

クライシス本来の目的を思い出したなら、大事なことは「どの封印を解くために用意されたトラップなのか?」ということ。

わたしの場合は、これですね、火星です。


 
生まれた時の火星に運行中の冥王星がコンジャンクションしてますから(というか、このトラップの仕掛け人がそもそも冥王星)自らの火星の力を限界まで解き放つ時が来たことを示唆しています。
実際、このミッドライフクライシスを火星力(火事場の馬鹿力)で突破される方は多いようです。

ただ、そもそもなぜ火星の力(情熱・やる気・集中力)を解放できていないのか?といえば、わたしの場合は土星が効いているからなんです。
(これは人によって違うと思うので自分自身の攻略法を知ることが大切かと)

生まれた時の天空図で土星が火星と90度の角度をとっているんですね。
 
確かにわたしには、自身のやりたいこと(火星)に対して、なにかと客観性や確実性を求めたがる非常に自重的な一面(土星的な一面)があります。そしてそれは、抑圧すれば現実に現象としてあらわれてくるわけです。
(自分が自分に求めなければ、他人から求められる現象をつくるということ)
 
ですからここで「やったるぜ!」と力づくでクライシスを突破しようとすれば(火星意識に偏れば)、基本的に火星と土星では土星の方が力が強いですから、その軽はずみな言動は「現実を見ろ!」と簡単につぶされることになります。

しかもわたしの火星、山羊座なんですねvv。
山羊座の支配星は土星であり、火星なんだけどちょっと土星的というか、何かと結果にフォーカスしたがる。
ですから意識が火星に入れ込んでいる(=現実の中に入っている)うちは、もっと現実的になれ!というアドバイスが、いちいち最もに感じてしまうわけです。
もっと現実的でありたい自分が拡大されてしまうというのかな、そういう現象を自分でつくるんですよね。

しかしわたしの本当にやりたいことは意識の世界と現実世界の橋渡しなので、この世界の常識にとらわれてしまうと本当にやりたいことはできなくなります。

そこで火星の集中力を外の現実ではなく、自分の内面「今この瞬間」だけにフォーカスさせてフィルムの外に出ていくことを選びました。
現実の外に出ている時、今ここにある時だけは、この自己矛盾の影響を受けないように感じているのです。
この世界で情熱を燃やしたがる自分(火星)・確実さを求める自分(土星)・この先のビジョンを求める自分(海王星)を一度手放し、外に出ていく。ここが冥王星意識の定位置なのではないでしょうか。

この時起こってくる「やりたいこと」「やるべきこと」は、これまでフィルムの中のわたしが選んでいたこととは完全に変わってくるように感じています。
 
もう少し自己観察を深めたいですね。