出会いと別れ

昔の出会いを振り返ると

「今あの人に出会ったら、わたしはたぶんこう云うだろうな」とか
「きっと違う接し方をしていただろうな」と
 
感じることがあります。
 
しかし目覚めを意識するようになってからは同時にまた、その人はその時のわたしだからこそ出会えた存在であり、今はもう会えないのだ、とも理解するようになりました。
 
自分の外に現れる人は常に未知なるわたし自身(=未だわたしも知らぬわたし自身)であって、わたしが変わってしまった今、仮に同じ人に出会うことがあったとしても、その人はもうかつてとは違う存在になっていることが理解されるようになったからです。

その時封印していた自分自身をわたしが統合してしまうと、その人はもう、わたしの前で同じような役を演じる必要はなくなってしまうからです。
 
昔とは違った意味で、出会いを大切にしたいと思うようになりました。
それはたぶん、今出会っている人が、本当に「今しか出会えない存在」なのだと云うことが、名実ともにわかってきたからかもしれません。

そしてまた「出会いを大切にする」こととは、ずっと一緒にいるとか礼節を尽くすとか、そんな表向きの態度のことを指しているのではなく、「何を学ぶためにこの人と出会ったのか」深く自分自身に問いかけることを意味しているのではないかと感じるこの頃です。

理由がわかれば感謝できない出会いはないのかもしれません。しかしまた、本当の感謝というものは手放し=学びの卒業をもたらすもので、そうした意味でも、出会いと同じくらい別れは必然なのだと思います。

今では、時が経ってからかつてすれちがった人を愛おしく思うことも、決して悪くはないと思うようになりました。
それはその時は他人として弾き出していた自分自身の一面性受け入れたり、理解できるようになった証でもあり、わたしはかつてより深く自分を理解できるようになったのだな、と思うと、何だか嬉しくも感じるからです。
 
わたしにとって、実りある豊かな人生とは、きっと出会いの多い人生を意味しているのだと思います。


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