自分を観察するために

今日ふと思い出したこと。

「あれ、そういえばわたし、この子を観察するためにここに来たんじゃなかったっけ?」

そう、自分を観察するため。自分を観察することがこの人生の目的だったはずなのに、いつのまにかすっかり外の世界に夢中になってしまったんだ。

たいへん、たいへん。

やりたくないことをやらない、とか、ごく自然なことだったんだ。

いや、やりたくないことをやった時、一体どんな風に感じるのか?。
そんな自分を観察したいと思ったなら、それもありなんだけど、なんかもう十分に観察したように感じるよ。

やりたいことをやるっていう概念も、なんか、これまでとちょっと違う気がする。

だってそれ、確かにやりたかったことかもしれないけど、もう十分体験したじゃない?やってどんな風に感じるかも、十分観察したよね。ということもある。

魂のデータ収集、終わった気がするよ。何年も同じことをやりつづけて、同じデータを収集する必要もないよね。

だってこの世界にいられる時間は限られていて、ここでは他にも沢山体験できることはあるわけだから、自分を観察したいなら、どんどん新しい体験をさせてあげなくちゃ。

この子を観察するはずだったのに、人目を気にしていたなんて不思議。自分自身より、外の世界に夢中になっていたなんて不思議。
そしたら何をやるにも大義名分とか、それをやる理由とかが必要になるね。

ほんとはただ、その体験を通してデータ収集したかっただけなんだけど。

内観って趣味?悩み解決の手段?
いや、人生そのものだったんだね。


自分自身を引き受ける

目覚めていくことは、これまで「人形A」なる存在だと思っていた自分が、実は自分という「人形A」と隣の人物「人形B」の両方を演じていた『人形師』なる存在だったと気がつく感覚に似ている。

いや、確かにわたしは人形Aなのだが、わたしの内奥の存在は人形師なのだ。

あるいはよくいわれるように、自分は人差し指だと思っていたのに、手のひらそのものだったという感覚なのかもしれない。

ただそのプロセスで起こることは色々あって、例えば人差し指が実は隣の中指と共依存の関係(自分と他人が深いところでごっちゃになっているような関係性)だった場合、自分という存在を新たに立ち上げるプロセス(わたしは人差し指であって、中指とは違う存在である、と自覚するプロセス)が起こってくる。

そして中指と分離した後、人差し指から実は手のひらそのものであったと気がつくプロセスでは、今度は自分がどんどんなくなっていく。自分は確かに人差し指なのだが、今度は人差し指であったと同時に、中指であったことに気がついていくのだ。

だからプロセスをゴールにすると混乱する。
しかし最終的には自分でありながら、自分がない状態に目覚めていくのだ。
あなたは人差し指でありながら手のひらであり、人形Aでありながら人形師なのだ。

そしてある日、人差し指が親指と分離して「自分は人差し指であると同時に、手のひらなのかもしれない」などと気がつき始めた後も、実は反対側では中指としっかり共依存しているなんてこともある。
だからこの『自分を立ち上げ、なくしていくプロセス』は永遠につづくのかもしれない。

人形師の視点においてわたしは全てである。全ての人(人形)であり全ての量子なのだ。火であり水であり風であり土だ。わたしの意図は全ての意図であり、小さな自分の正しさはささいなことである。全てはあるがままでゆるされており、わたしという存在の本質は光と闇、正しさと間違いどちらでもあるからだ。

しかし同時にわたしは個という存在である。
それどころか、わたしという個を通してしか全体につながることはできない。それは、自分という存在を通してしか今ここに入っていけないからだ。

オーケストラでいうなら、自分の音を通して『今ここ』に入っていった結果、そこに全ての奏者の音がある。自分の向こうに広がるパノラマの世界。いつも自分自身が扉であり、自分という存在から外に乗り出して全体を認識することはできないのだ。

先日小説を書いていた時のこと、こんなくだりが降りてきた。

「愚か者め。自分の思いを自分で引き受けるまでこれは終わらないのだ。全てを引き受け己が全てを許せるようになるまで」

これは劇中、主人公を助けようとしたその友人の行いに対して、ある人物から放たれる言葉である。
書き留めてから「ああ、これはカルマのことを云っている」と理解した。

「愚か者め。自分の思いを自分で引き受けるまでこれは終わらないのだ」

=この世で起こっていることの全てが自分の思いが具現化したものであるということを認めなければ、何も始まらない。
お前がこの人物を物理次元の現象から助けたところで、それを引き起こした当人の内なる思いを解消しなければ、いずれまた同じことが起こってくる。これは自分で引き受けるまで終わらないのだ。

「全てを引き受け己が全てを許せるようになるまで」
=自分の抱いた思い全てを受けとめ、その全てを手放せるようになるまで。

我々は、自分に対して心底許せないとか、大したことないやつだとか、あるいは無力感ゆえに消えてしまいたいだとか、よく考えれば本当にとんでもないことを思ってきたものである。
そして、その自分の思いを自分で引き受けている。

もうそろそろ良いのではないだろうか。

お前がこの人物を物理次元の現象から助けたところで、それを引き起こした当人の内なる思いを解消しなければ、いずれまた同じことが起こってくる。これは自分で引き受けるまで終わらないのだ。

だとしたらわたしはとんでもない思い違いをしていたものである。人助けと称して魂の内なる学び(=カルマの解消)を邪魔していたこともあるかもしれない。

わたしと同様、全ての人は魂の旅の途中なのだ。そのことを忘れてはならない。

魂は全てを知っている

昨年5月のブログです。
 
このメッセージを受け取ったは5月半ば、わたしがドイツで売上税の問題に直面したのは8月半ばですから、やはり魂は、これから起こる流れをいつも知っているのでしょう。

深層意識はこれから起こる流れを全て予見していて、渦中に巻き込まれた時のために、その時気をつけた方が良いこと、気をつけるべきことをきちんと夢で予告しています。(今ならこのメッセージが何を意味していたのか本当によくわかる)

でも顕在意識レベルではそのことを思い出せませんから(我々は、自ら意識に制約をかけて自分の仕掛けたゲームを忘れているのです)起こってくる流れを実際に現実で体験しながら目覚めを深めていくのだと思います。
 

1つのサイクルの終わりとは、これまでの大きな魂の旅路(1つのカルマ)が終わりつつあることを示していたのです。
この時は、まさか手放すべきものがドイツの暮らしとは思いもしませんでしたが。

確かに「今は日本に戻るべき時なのだ」と悟って帰国を決断しましたね。

これは守れませんでした。
当時はあまりピンとこなかったといいますか、今のわたしにはメンターはいないから大丈夫と高を括っていたのだと思います。
 
この半年間「もっと最初からこうすべきだった」とか「こうやって失敗したのだから次はこうすべき」などなど、周囲の方の客観的なアドバイスに耳を傾けていました。
もちろんそれは、過去の人生経験から「そうすべき」と判断したから(自分に足りない視点は他者から学ぶべきなのだという発想から)なのですが、その結果実際にみえてきたこと、アドバイスを参考にしながらやっぱり自分にとっては『これが大切なのだ』と感じたことは、やはりこれまでわたしの体現してきたことに他なりませんでした。

でもこれは、実際に体験しなければわからなかったといいますか、体験したからこそ、盲目的に自分を信じるのでもなく、不安を不安として残したまま何かを盲信するのでもなく、体験的な検証を経た上で撰択したい答が見えてきたのだと思います。

もっと単純な意識だったら話は別だったのですが、土星の効いているわたしの中には、常に自らの言動を社会的常識と照らし合わせたがる自分がいるので、やっぱり避けては通れない道だったかな〜と感じています。

ある意味、どんな状況においても自分を見失わないか?自分の内奥の声に従いつづけられるか?、自分の最も弱いところを突かれました。

ただ、目覚めを意識してから何度かこうした経験はあって(自分を見失いやすい場所を突かれる)、その時々で試されるポイントは変わってきているので、少しずつ成長しつつあるのかもしれません。

塔のカードは青天の霹靂。これまで築いてきたものの崩壊。状況の行き詰まりを打破するための、抜本的改革の必要性を暗示しています。
それが逆位置に出ていたことはもはや『この先自ら落下しにいくこと』『魂は崩壊による解放を選択した』と示唆していたとしか思えません(笑)。
 
もう一度やり直せるとしたら、やはりわたしは今回起こってきた流れを体験したいと思います。
今となってははっきりと、必要な経験だったとわかるからです。
 


Receive your Present

本当はプレゼントはいつもやってきている。

目の前の出来事が、あなたへのプレゼント(Present=今)

やってきた出来事に対して「ああ、これプレゼントなのか〜」と感じられるようになった時、時には「え、これがプレゼント?」とぎょっとしたり(笑)、「わ〜い素敵なプレゼント」と素直に喜べるようになった時、肩の力が抜けてやってくるプレゼントそのものを楽しめるようになった時、それが意識が創造主の場所に戻った時であり、あなたが本当の意味でプレゼント(Present=今この瞬間)を受け取れるようになった時なのだろう。

その時あなたはもうプレゼント(今この瞬間)に対して「なんとかこの形をかえてやろう」とは意気込んでいない。
それは贈り物(Present)なのだから、ただただ、受け取ることに徹しているだろう。

プレゼントを喜んで受け取りつづけると、いつのまにかプレゼントは喜びの形に変わっていく。時にはいけ好かないプレゼントを「まあいいか」と受けとってみると、いつのまにかプレゼントも「まあいいか」と思える形に変わっていく。

その時あなたは思うかもしれない。
もしかして、自分自身をプレゼントされていたのかしら?、と。



プレゼントの前に


こちらのメッセージ、よかったら読んでみてください。


実は先月の蠍座満月あたりから、わたしも全く同じようなメッセージを受けとっていて(完全に当事者ですな)、こちらの準備が整うことを流れは待っている、と感じたことがありました。

それで改めて「自分は本当はどうしたいのかな?」と、1つ1つの選択を観じてみる日々なのですが、これが深い。
今までの自分の1つ2つ3つ深い『本当』を浮き彫りにしていくことが求められているような...そんな感じがするんですよね。

(それが器が大きくなった証拠なのかもしれませんが)

また、自分自身の中にある何らかの常識がブロックとなって「いわれてみれば、今までそんな発想なかったわ。でもそれが理想?といわれれば、確かにそうなのかも?」といったケースもあったり...

とにかく、改めて自分が自分自身をどれだけ大きく制限してきたのか、に気づかされる日々です。

今年の魚座〜牡羊座木星期というのはたぶん多くの人々にとって「器を大きくしていくタイミング✨」であり、そのゴールデンルートは『素直になっていくこと』、もうこれに尽きるのだと思います。

自己統合も、癒しも、器を大きくすることも、素直になれれば自然と上手くいく

(ここはキラキラポイント!ということであえて星マークつけてみました)

そしてたぶん、それはこれまでの土星意識(常識という名の制限)を超えて素直になっていいのではないかと。
 
例えば、長らくわたしを支配してきた自己犠牲的な生き方の裏には「自分か他人、どちらかしか幸せになれない時もある」といった制限意識があったようなのですが
そうした思い込みから二者択一を迫られた結果、自己犠牲的な生き方の偏りが生まれていた、ということ)
 
ある時ふと思ったんですよ。


どちらかしか幸せになれないって、どんなケチくさい神(創造主)だよ!!😎

わたしの創造したい世界、全然そんなんじゃないんですけど!?


そんなケチくさいルール(神)、わたしの世界には不要だ!と、目が覚めたといいますか。やっぱり何かおかしいと思ったので、おしりぞきいただきましたよ。(笑)
 
いやはや思い込みってスゴイですね。


自分の言葉で語れるようになるには(前編)

言語化が上手ですね、といわれることがあります。

意識の話をしていると、見えない世界の話=よくわからない話をしている、と思われることがあるからでしょうか。

同じ分野に興味のある人からも「あやちゃんは、そうやって思っていることをちゃんと言葉にできるから全然違うよね」といわれたり。
 
確かにわたしのネイタルチャートでは太陽・水星・金星の3つが射手座で重なっています。ですのでおそらく「言語化が上手」というのは、生まれ持った才能(過去世で磨きをかけてきた能力)の1つではあるのだと思います。

ただ、個人的には、みなさんがわたしに感じてくださる「言語化が上手い」のツボは「水のエレメント」の力なのではないのかな?と感じることがあるんですね。

四大元素()では、言葉をつかさどるのは「風」ですから、よく知識や言葉を扱う力に長けた人は「風のエレメント」を使っているともいわれます。
実際わたしも最初はそのように感じていました。


でも、実はわたしのネイタルチャート

風のエレメント、1コしかないんですよ。

しかも遠くの冥王星だし、これまでは意識して使えるものではなかったような..。

なら、わたしは一体どういう意識回路で言語化しているんだろう?と観じてみた時に、ふと気がついたことは「あ、これは水だ✨」ということでした。


世の中には言語化が上手な人、言葉の引き出しの多い人、話の上手い人は沢山いると思います。
でもみんな、違うタイプのようにわたしは感じているんです。
 
1 複数のリソースをあつめて体系化することが得意な人(地タイプ)
2 情報を整理して簡潔に要点をまとめられる人(風タイプ)
3 語っているうちに相手をその気にさせてしまう人(火タイプ)
 
わたしのイメージでは

1 パワポや教材が圧倒的にわかりやすい
2 議事録やアジェンダが神速&神業
3 3年B組金髪先生

みたいな?

わたしは火のエレメントが多いので、確かに3番目の要素もあるのですが、不思議なことに熱く語っている時は「言語化上手ですね」とはいわれない。

いやもう、

みんな言葉の熱量に圧倒されてしまって😎

ポカーンって感じです。


そうではなく、誰かがわたしに「言語化上手ですね」といってくれる時は、その方はたぶん「実は自分も心の奥深くで感じていたことが、言葉という形になった現象そのもの」に感動している。そのようにわたしには感じられるのです。

これは水のエレメントの力です。

水には次元をつなぐ力があります。
そして、水のエレメントの言語化能力というのはチャネリング能力です。

チャネリングというのは、言葉にならない意識の情報、空間の波長、その場の雰囲気、をキャッチする力というのでしょうか。

実際、水のエレメントの多い方は植物や動物や赤ちゃんなどと、言葉を介さず心を通わせる力を持っている人が多いと感じます。セッションや室内楽アンサンブルなど『音楽で心を通わせる力』もその1つですね。

チャネリングしている時というのは、自然とワンネス意識(深層意識)にアクセスして、自分の内側からあふれる音を紡いでいます。
(即興演奏や即興アートみたいな感じかな)

自分とつながって言葉を紡いでいますので、たいていはそこにエネルギーの乱れがなくとても響きの調和がとれています。
開かれた感性のお持ちの方には、自然とそれがわかるのでしょう。

わたしたちは、決して言葉だけで会話をしているわけではありません。

情報化時代、そして風の時代だからこそ、そのことを思い出したい人はたくさんいるのかもしれませんね。

ちょっと前置きが長すぎて、タイトルの本題にたどり着けませんでしたので、続く予定です。

星は自分自身からのパスコード

実は、先日のチャートをさらに読み解いていくと

✔︎ 生まれた時の天王星を意識すれば運行中の木星が
✔︎ 海王星や冥王星の素質を意識すれば土星が

それぞれ力を貸してくれることも示唆されています。



トランスサタ二アンを使え!😎

トランスサタ二アン(天王星・海王星・冥王星)というのは、無意識下のエネルギー。普段、社会生活を送る上でとりたてて必要になることはないと思います。

しかし、活性化していない(=表に出てきていない)というだけで、なくなったわけではありませんから、ぼんやりしているとそのエネルギーが運行中の天体の影響を受けてとんでもないことを引き起こすこともあります。

(ここで大切なことは、結局全て自分のエネルギーが現象化しているだけ、ということではないかと)
 
一方、この力を意識的に使うことができれば、少なくともこのわたしのチャートでは天王星の英知を木星が拡大し、海王星の理想や冥王星の再生エネルギーを土星が形にするサポートをしてくれる、と読めるのですが...

なんか、目覚めのバックアップ万端って感じですね。



トランスサタ二アンのエネルギーをどうやって使うのか?といわれれば、

✔︎ 現実の外に出る
✔︎ 今ここを生きる

この2つにつきます。また、現実の中にどっぷり浸かっている時は

✔︎ 自分自身に嘘をつかない(本当にやりたいことを見極める)

これも大きなポイントではないかと思います。

「やる」ではなく『見極める』。夢見でもチャレンジでもなく覚』

見極められていたら、ちゃんと道は開かれていく。
 
独立したばかりの頃、わたしの生まれた時の太陽に運行中の土星が、プログレスの太陽に運行中の冥王星が重なっていたことがあったと思います。

その時ホロスコープを見てくださった先生にいわれました。

「すごいプレッシャーだね」

「本当にやりたいこと以外は全部つぶされる。中途半端はゆるされない」
 
「でもね、これは、あなたが本当にやりたいことをやったら、全宇宙が味方をしてくれるということなんだよ」

わたしが人材コンサルタントの肩書きを捨て、委託されていた企業との契約を終え、自分で講座を開講することになったのはその半年後のことでした。
 
レッツチャレンジ ♪
 
P.S.
今回星回りの影響を見るにあたっては、こちらのサイトを利用させていただきました。片側に自分の出生データ、片側に現在の日時を入力するとわかります。