今日ふと思い出したこと。
「あれ、そういえばわたし、この子を観察するためにここに来たんじゃなかったっけ?」
そう、自分を観察するため。自分を観察することがこの人生の目的だったはずなのに、いつのまにかすっかり外の世界に夢中になってしまったんだ。
たいへん、たいへん。
やりたくないことをやらない、とか、ごく自然なことだったんだ。
いや、やりたくないことをやった時、一体どんな風に感じるのか?。
そんな自分を観察したいと思ったなら、それもありなんだけど、なんかもう十分に観察したように感じるよ。
やりたいことをやるっていう概念も、なんか、これまでとちょっと違う気がする。
だってそれ、確かにやりたかったことかもしれないけど、もう十分体験したじゃない?やってどんな風に感じるかも、十分観察したよね。ということもある。
魂のデータ収集、終わった気がするよ。何年も同じことをやりつづけて、同じデータを収集する必要もないよね。
だってこの世界にいられる時間は限られていて、ここでは他にも沢山体験できることはあるわけだから、自分を観察したいなら、どんどん新しい体験をさせてあげなくちゃ。
この子を観察するはずだったのに、人目を気にしていたなんて不思議。自分自身より、外の世界に夢中になっていたなんて不思議。
そしたら何をやるにも大義名分とか、それをやる理由とかが必要になるね。
ほんとはただ、その体験を通してデータ収集したかっただけなんだけど。
内観って趣味?悩み解決の手段?
いや、人生そのものだったんだね。