トーンダウン
みなさんが人生で大切にしている生き方や価値観はなんですか?
わたしの人生はこれまで「達成」と「挑戦」がテーマだったようです。
自分の思った通りに生きていたら、人生はそれを学ぶための舞台になっていた、とは後から気づいたことですが。
占星学的には地のエレメント(特に山羊座)と火のエレメントですね。
ですので「わたしの人生、何も達成できなかったな」とか「あれもこれも挑戦できなかったな」と思って死ぬことは、おそらくないと思われます。
しかし先日「もうちょっと丁寧に生きられたらよかったな」とか「愛をもって人に接することができたらよかったな」と思うことはあるんじゃなかろうか、と思っていました。
水のエレメント(愛、感動、思い)には、まだまだ学ぶことがいっぱい。
ということで「丁寧な暮らしをするために大切にしたいこと」をノートに書いていたのですが、
あれ??
ん??
仕事に関することが1つもないぞ。ということに気がつきました。
なんかこう「こういう仕事をして世の中に貢献するぞ!」とか(←この発想がそもそも山羊座的)、未来志向のアイディアが1つもない。
代わりに出てきたのは「今ここを心地よく過ごす方法」。
なぜなら人は、それだけで幸せになれるから。その幸せを深くするアイディアが出てきたんですね〜。
ということで、しばらくこちらの仕事はお休みモードかもしれません。
丁寧な仕事をするためには、まずは丁寧な暮らしを始めることから。
少しずつ、トーンダウンしていこうと思います。
10月の風
10月に入りましたね。
みなさんいかがお過ごしですか?
東京は、ぽかぽかの陽気ですよ〜。
さて昨日、また興味深い夢を見ました。
出発した飛行機が戻ってくる夢です。
空港にいる夢とか、飛行機が出てくる夢を見たことはこれまでにも何度かありますが、今回はなんと自分の搭乗した飛行機が空港に戻ってくる夢でした。
うーん、秋分直後のこの時期に意味深ですよね。
わたしは出発しそびれたのかしら?(笑)
夢って後で振り返って「あれってこういうことだったのか〜」ということがあるので、自分のために書き留めておきたいと思います。
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夢の中では飛び立った飛行機が空港に戻ろうと踵を返すと、みんなの体がまるで宇宙空間にいるみたいに「宙ぶらりん」になって、機内がざわめいていました(墜落するのか?みたいな騒ぎになっていた)。
しかし、夢の中のわたしは慌てふためくでもなく「おおっ、この予想外の展開を楽しんでみるか」といった感じでした。
なんでも予想外の展開、というのはロケットの窓から見える景色が変わる感覚で、それもふくめてこの人生の醍醐味らしいです。
(車窓からの景色を指差して「あ、みてみて〜♪」という感覚でしょうか。っていうか乗ってたのロケットだったかも...笑)
飛行機は無事にもといた場所に着陸。
そこには他にも出発地に戻ってくる飛行機や、電車までありました。
わたしはなぜかチケットを5枚持っておりまして、よく見ると1枚はわたしの席と連番でした。
行き先はスウェーデン(とかそれっぽい、海の近くの国)。
わたしたち5人(わたしとその場にいなかった4人の人たち)は飛行機に乗った後、2回ほど電車に乗り継ぎ旅をする予定になっていたようです。
飛行機が出発できなかったので、チケットカウンターのおじさんにチケットを変えてもらうことに。
「チケットが5枚あるね。他の人いないけど5人分変えたほうがいいの?」と聞かれ、わたしは「残り3人は向こうで合流するかも」と答えておりました。
しかし、チケットは無事5人分変えてもらえることに。
その手数料2ユーロちょっと、やすっ!!
変えてもらった飛行機は翌日なので、旅程が1日短くなってしまいます。
せっかくなら向こうでものんびりしたいので、金曜日帰ってくる予定を土曜日にしてもらおうかと考えていたところ、おじさんは「出発が遅れた旨、家族にも連絡しておこうか?」ときいてきます。わたしは「どちらでもいいよ」と答えていました。
家族はみんな、自宅で平和な日常を送っていました。
わたしは安心し、スケジュールをよく見てみると、翌日以降の飛行機は全て満席であることに気がつきました。
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夢が伝えようとしていた真意はいずれわかるとして、今のところわかっていることはこんな感じでしょうか。
・魂はこの秋予定していた新しいスタートを少し先延ばしにした
・それに伴い次のステージクリアに与えられる旅の所要時間は短くなった
・わたしはまだ出会うべき人に会っていない
・仲間は5人いる、うち3人は後から合流するかも
・それは次の旅を共にするメンバーで、今の家族ではない
・家族はわたしが出発しても、幸せに暮らしていけるから大丈夫
・次の出発までは、地球の新しい景色を楽しめる
・延期できるのは1度きり、その後はない
あとこの飛行機の出発、行き先がスウェーデンだったり支払いがユーロだったことからも、なんとなく「国外に出る」意味合いを感じてしまうのは...気のせい、じゃないんでしょうね。😂
だとしたら、1日延期ってどのくらいの延期なんでしょうか。1年とか?。
わたしまだ海外出る予定ありませんし(笑)。そもそも日本に戻ってきたのが予定より9ヶ月遅かったのでそれなら辻褄があいますね。
というのも、気になっているのは翌日以降の飛行機が全て満席だったこと。(FULLって書かれてた)
この先何があるにしても、そんなに多くの人が日本国外に出るのはもう少し先であってほしいと感じます。
ということで、今日はなんだか個人的ノートになってしまいましたが、みなさま、楽しい10月をお過ごしくださいませ。
合う仕事、合わない仕事
今の仕事があなた本来の性質や魂の色合いに合っているか、合っていないかというのは自分よりも他人の方がよくわかります。
他人の方が「あなた自身」のことがよく見えているからです。
主観と客観というのはバランスで、例えば自分は「何をやりたいのか?」ということは、あなた自身にしかわかりません。
本当にやりたいことを知りたい時に、誰かに「自分にはどんな仕事が向いてると思いますか?」と聞いても、求める答は得られないでしょう。
あなたの知りたいことは「やりたいこと」であり、それを知っているのはあなた自身だからです。
しかし、未来のこと以前にまず自分の現在地を確認したい場合、つまり、そもそも今の仕事が自分に合っているかどうかを知りたい時は、意外と他人にはそれがよく見えています。
適性の面白いところは、合っている場合は自分でも「あ、わたし、この仕事合ってるわ」とはっきりとわかること。
しかし、合わない場合は自分ではなかなかそうと気がつきにくいということです。
合う、合わないというのは、能力の問題ではなく、生まれ持った個性のピースが上手く噛み合っているかどうかなので、合っている場合は自分自身が何かにピタリとはまった手応えがあります。
しかし合わない場合はおそらく「なんかモヤモヤする」「でもこれって、こういうものなのかな」で終わってしまい、それについて疑問に思ったり、改めて問い直したりするケースは少ないかもしれません。
余談ですが、わたしが学生時代友人たちとカルテットを始めた時「とても良いメンバーでやっていますね」と何度もいわれたことがありました。
当時わたしはチェロを始めて間もなかったので、メンバー内で能力の違いはかなりあったと思います。しかし、おそらくそれぞれの個性が上手く噛み合っていたのでしょう。
自分たちでも合わせていて「合ってるな」と感じたことはありましたし、そのことが、客観的にみて周りからも印象的だったのではないかと思います。
一方で、仮に合わないメンバーとカルテットを始めた時を想定してみると、おそらく「このメンバー、合ってないわ」とは、ならなかったと思うのです。
「なんかぼんやりしてるけど、カルテットってこんなものなのかな?」くらいで終わっていたのではないでしょうか。
歯車を想像してみてください。
何かとあなた自身が噛み合った時というのは、主観(自分自身)でもカチッとはまった手応えを感じやすいのに対し、噛み合っていない時というのは、噛み合った時の手応えを知っていなければ、そうとわからないことも多いのです。
「これって、こういうものなのかな?」で終わってしまうというのでしょうか。
しかし、外から見ると「その人たち同士が噛み合っているか、いないのか」客観的にみて「その場所にその人がふさわしいかどうか」非常によくわかります。
今の仕事が自分に合っているかどうかを知りたい人は、この時期、上手に客観を取り入れてみても良いかもしれません。
秋分点を超えて
秋分超えてみなさんいかがですか?
体感とか、意識とか色々変わりました?
わたしは、ちょっと面白い体験をしました。
今年の12月に40才を迎えるのですが、体感としては年々時間の経過が早くなっています。この秋分でまた流れが加速したこともわかりました。なので
「たぶんこれは、瞬きする間に60才だな」
「そういえばわたしの魂、80くらいまで生きる予定だったっけ..?」
などと内心独りごちていたところ
さっさと体験積んで
とっとと帰ってこい😎
ん?
😀
なんだ今の?
😀
その後「え、帰ってこいってあちらの世界に?さっさと死ねってこと?」と一瞬バグりましたが、ちょっと違ったみたいです。
体験の姿勢が違うよってこと。
この世界には、できるだけ沢山の体験を積むためにやってきたことを忘れて、あーだこーだと悩みすぎである、ということ。
どうもわたしの内側には、生存本能からくる「これからどうやって生きていこう?」という思考がいつも根ざしていたみたいなんですよね。
でも、もうそろそろその生存ゲームを終えて、「今ここの体験」だけに集中してもいいだろってことだったみたいです。
確かに、これまで無意識に「生きながらえようと」頑張ってた気もする。。
それはわたしが「死」を恐れていたからなのですが、でも本当は、こっちの世界の方が不安や恐怖がいっぱいで、死んだら永遠の安らぎに戻れるみたいなんですよね。
なんという極楽。
つまり、本当に安心・安全だけを体験したいなら、魂はさっさと「死」を選ぶこともできるのに、あえてまだここにいる。
その理由を忘れちゃいないかい?ということでした。
ごめん、めっちゃ忘れてた😀
お金のやりくりに夢中でつい...😄
過去生の記憶にふれたりすると、なんかこう「人生死んで終わりじゃないんだな〜」ということが感じられたりもするのですが、それでも
"わたし"として生きられる人生は、後にも先にもこれっきりなんですよね
生まれ変わったら、ガチ別の人ですから😎
なので正直、80才って短くね?と一瞬思ってしまったのですが、「それはお前の体験の姿勢がズレてるからである」ということだったみたいです。
確かにちゃんと「今ここの体験」に集中さえしていれば、本来、寿命までに終えられるカリキュラムしか組んでないのかもしれませんね。
新しい人生のページが開かれつつある気がします。
わくわく
秋分ゲートが開き始めたみたいですね〜。
新しいエネルギーが降りてきています。
さっきまで履歴書アップデートしながらワクワクしてしまって、どうしようもありませんでした。
やってることとわくわくって全然関係なかったのですね。
これやったらわくわくするとか、しないとか。昔はあったけど、今この時期だけは、何やっててもわくわくしてしまう。
魂は今起こっていることにわくわくしているのではなく、これから起こってくること(=今、起こっているエネルギーの流れ)にわくわくしているのでしょう。
わくわく。
わくわく。
究極のWIN-WIN-WINを追求したい2
「わたしの喜びは、みんなの喜び」
わたしは「自分の喜び=仲間の喜び」ということを信頼していなかったんだな。
だから自分の情熱を追求するときに、いつもどこか迷いが残っていたり、力みが必要だったんだな、ということにふと気がつきました。
それがわたしの最後のボトルネックだったのだ、と。
実は、個人意識(エゴ)にとっては「自分の喜び=仲間の喜び」でない方が色々と都合が良かったのです。
なぜかって?
それは、他者と自分を差別化できるから。
「これが自分!」とアピールすることができたり、他者の喜びのために自分「が」がんばることで、自分の価値を広く世界に知らしめることができる。
「わたしはここにいるぞ!」とアピールすることができるし、あなたがここにいて良い理由をつくりだすことができるのです。
ずっと誰かの役に立ちたくて頑張ってきた人生って、実は「わたしの喜びは、みんなの喜び」ということを全く信用していない人生だったのだな、と気がつきました。
自分のために生きるようになってからもわたしの根っこには「自分の喜びと周りの喜びは違うもの」という信念がしっかり意識の奥底に残っていました。そして、その通りの世界をつくりだしていたのです。
もしも「わたしの喜びは、みんなの喜び」だったのなら、本当に心の底からそう信じていたのなら、自分のやりたいことを形にするにしても、誰かの役に立つにしても、全てはそんなにパワーはいらないはず。
だってそれは、わたしの喜びであり、みんなの喜びなのだから。
2つは1つなのだから。
もう「相手はどう思うのかな?」なんて考えなくても大丈夫な世界なのだから。
もっと呼吸するように、ただそうあって良い世界なのだから。
これまでわたしにとって、自己実現の象徴はこの仕事であり、他者貢献の象徴は会社の仕事でした。
わたしは2つの仕事をする時、完全に意識を切り替えていて、どちらかを基軸にしながらどちらかを追求していく姿勢を持っていました。
自己実現しながら他者貢献となるポイントを探したり、他者貢献しながら自分の心地よさを追求したり、無意識にそういう在り方をしていたことに気づかされました。
でも、もうそんな在り方すら終えていいのだ、この力みを手放していいのだということに気づけたように思います。
なぜなら自分が介在せずとも、全ては展開されてゆくからです。
ズレるってどういうこと?
以前アップしたこちらの記事、実際にやってみた方いらっしゃいますか?
いかがだったでしょうか?
宜しければご感想、ブログコメント欄にお待ちしております。
実は、アップしてから気がついたのですが、このステップは上級編だったみたいです。
自分と向き合い何年か経っていたり、何か1つのことを極める過程で精神集中力が鍛錬されて、かなり自分に集中できるようになった人向け。
普通に生きていると、その前に意識があっちこっちに飛んでしまって、おそらく「今ここ」に集中することが難しいケースがほとんど。わたしもそうでした。
最近、音響療法について学ぶ過程で知ったのですが、この意識があっちこっちに飛んでしまうというのは、チャクラがズレているからなんだそうです。
チャクラがズレていると、どうしても意識内で外的刺激に対する激しい反応が起こってしまい、それに振り回されてしまうみたいなんですね。
ズレるズレるってこのブログでもよく書いてましたけど、とても感覚的な話で「ズレてるってどういうこと?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ズレている=今ここにいない状態のこと、と捉えていただければ、ズレてる時間がどのくらいあるかわかりやすいかもしれません。
これは、日常生活でどのくらい自分に集中できているか(意識がセンタリングされてるか)も関係しています。自分の外に意識を向けている時間が長いと、どうしても今ここへの集中力は落ちてしまうのです。
ズレている時間多いな、と感じた方は、日常生活で1人時間を積極的に持ったり、自分に集中できる環境に身をおく、既にエネルギーのととのっている場所で自分を整える、など外的環境が気にならない環境をつくることで、よりチャクラを整え、意識をセンタリングすることができると思います。
あと、かつての講座の修了生の中には、いわゆる「自分の道」=「自分が心からやりたい!学びたい!一心に打ち込みたいと感じる何か」を見つけた方も多いのですが、自分の道は何のために存在するのか?といわれれば、何か1つのことを極める過程で精神集中力を鍛錬し、今ここの集中力を上げていくためのアンカーだったのだな、と改めて気がつきました。
たしかにそうすると自然と意識はセンタリング&グラウンディングされていきます。
今ここへの集中力も上がり、自分自身が解放されて穏やかな境地になるだけでなく、目醒めも加速するでしょう。
具体的な道は見つからないタイプの方もいらっしゃいましたが、例えばわたしのように『自分の内側から全く新しい何かを生み出すタイプ』の方は、アンカーとなるものが外の世界に存在しませんので、やりたいことが見つかる、というより、突然自分の創造性や表現力が爆発して、それを形にしたくなるという現れ方をするかもしれません。
(その場合はより高い自分への集中力が必要になりますので、先日の2つの秘訣をお試しください)
ということで、機会があれば本当にやりたいことを見つける2つの秘訣〜基本編もお届けしたいと思います。その場合は、いただいたコメントへのお答えも反映しますね。
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