究極のWIN-WIN-WINを追求したい2

「わたしの喜びは、みんなの喜び」

わたしは「自分の喜び=仲間の喜び」ということを信頼していなかったんだな。
だから自分の情熱を追求するときに、いつもどこか迷いが残っていたり、力みが必要だったんだな、ということにふと気がつきました。

それがわたしの最後のボトルネックだったのだ、と。
 
実は、個人意識(エゴ)にとっては「自分の喜び=仲間の喜び」でない方が色々と都合が良かったのです。

なぜかって?

それは、他者と自分を差別化できるから。
「これが自分!」とアピールすることができたり、他者の喜びのために自分「が」がんばることで、自分の価値を広く世界に知らしめることができる。
「わたしはここにいるぞ!」とアピールすることができるし、あなたがここにいて良い理由をつくりだすことができるのです。 

ずっと誰かの役に立ちたくて頑張ってきた人生って、実は「わたしの喜びは、みんなの喜び」ということを全く信用していない人生だったのだな、と気がつきました。

自分のために生きるようになってからもわたしの根っこには「自分の喜びと周りの喜びは違うもの」という信念がしっかり意識の奥底に残っていました。そして、その通りの世界をつくりだしていたのです。

もしも「わたしの喜びは、みんなの喜び」だったのなら、本当に心の底からそう信じていたのなら、自分のやりたいことを形にするにしても、誰かの役に立つにしても、全てはそんなにパワーはいらないはず。

だってそれは、わたしの喜びであり、みんなの喜びなのだから。

2つは1つなのだから。

もう「相手はどう思うのかな?」なんて考えなくても大丈夫な世界なのだから。

もっと呼吸するように、ただそうあって良い世界なのだから。

これまでわたしにとって、自己実現の象徴はこの仕事であり、他者貢献の象徴は会社の仕事でした。
わたしは2つの仕事をする時、完全に意識を切り替えていて、どちらかを基軸にしながらどちらかを追求していく姿勢を持っていました。
自己実現しながら他者貢献となるポイントを探したり、他者貢献しながら自分の心地よさを追求したり、無意識にそういう在り方をしていたことに気づかされました。

でも、もうそんな在り方すら終えていいのだ、この力みを手放していいのだということに気づけたように思います。

なぜなら自分が介在せずとも、全ては展開されてゆくからです。