合う仕事、合わない仕事

今の仕事があなた本来の性質や魂の色合いに合っているか、合っていないかというのは自分よりも他人の方がよくわかります。

他人の方が「あなた自身」のことがよく見えているからです。

主観と客観というのはバランスで、例えば自分は「何をやりたいのか?」ということは、あなた自身にしかわかりません。

本当にやりたいことを知りたい時に、誰かに「自分にはどんな仕事が向いてると思いますか?」と聞いても、求める答は得られないでしょう。

あなたの知りたいことは「やりたいこと」であり、それを知っているのはあなた自身だからです。

しかし、未来のこと以前にまず自分の現在地を確認したい場合、つまり、そもそも今の仕事が自分に合っているかどうかを知りたい時は、意外と他人にはそれがよく見えています。

適性の面白いところは、合っている場合は自分でも「あ、わたし、この仕事合ってるわ」とはっきりとわかること。
しかし、合わない場合は自分ではなかなかそうと気がつきにくいということです。

合う、合わないというのは、能力の問題ではなく、生まれ持った個性のピースが上手く噛み合っているかどうかなので、合っている場合は自分自身が何かにピタリとはまった手応えがあります。
しかし合わない場合はおそらく「なんかモヤモヤする」「でもこれって、こういうものなのかな」で終わってしまい、それについて疑問に思ったり、改めて問い直したりするケースは少ないかもしれません。

余談ですが、わたしが学生時代友人たちとカルテットを始めた時「とても良いメンバーでやっていますね」と何度もいわれたことがありました。

当時わたしはチェロを始めて間もなかったので、メンバー内で能力の違いはかなりあったと思います。しかし、おそらくそれぞれの個性が上手く噛み合っていたのでしょう。
自分たちでも合わせていて「合ってるな」と感じたことはありましたし、そのことが、客観的にみて周りからも印象的だったのではないかと思います。

一方で、仮に合わないメンバーとカルテットを始めた時を想定してみると、おそらく「このメンバー、合ってないわ」とは、ならなかったと思うのです。
「なんかぼんやりしてるけど、カルテットってこんなものなのかな?」くらいで終わっていたのではないでしょうか。

歯車を想像してみてください。
何かとあなた自身が噛み合った時というのは、主観(自分自身)でもカチッとはまった手応えを感じやすいのに対し、噛み合っていない時というのは、噛み合った時の手応えを知っていなければ、そうとわからないことも多いのです。

「これって、こういうものなのかな?」で終わってしまうというのでしょうか。
 
しかし、外から見ると「その人たち同士が噛み合っているか、いないのか」客観的にみて「その場所にその人がふさわしいかどうか」非常によくわかります。

今の仕事が自分に合っているかどうかを知りたい人は、この時期、上手に客観を取り入れてみても良いかもしれません。