思いを形に

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コメダ珈琲店に来ています。
今日はモーニングをいただきました。朝11時までにドリンクをオーダーすると、無料でついてくるそうで、とても美味しくいただきました。
 
以前「創り手の思いは商品に宿る」と書いたことがありますが、このモーニングの企画はおそらく、自慢のトーストを沢山の人に食べてもらいたい、という思いから生まれたものなんだと思います。
この珈琲店は(おそらく他の売れてるお店もそうだと思いますが)「提供したいもの」「珈琲を通して作りたい場所(世界)」というのがはっきりしていて、それがコアからブレていないのです。
 
わたしたちは、確かに物質的欲求、そして肉体的欲求を満たすために物を買っているのですが、実はそこに宿った思い(心)にも同時に惹かれている。
だから心満たされる食事と、そうでない食事が存在するのだ、と気がついたのは、1年くらい前だったでしょうか。
 
わかりやすいのは作り手と消費者(購入者)の距離が近いケースで、クリエイターの思いがダイレクトに届くので、わたしの講座もきっとそこに宿った思い(わたしを通して生まれ出た思いが)それに共鳴する人を呼んでくれていたのだと思います。
(だから講座は生き物だと感じたのでしょう。それは、講座という枠組みではなく、そこで手渡される情報=宇宙の鼓動・リズム・バイブレーションが生きていたのですよね)

そして最近、途中に人や物流を介在しても、やはり創り手の思いは商品に宿っているんだな...と感じるようになりました。

コメダ珈琲店もそうなのですが、年初にTV番組で紹介されていたファミリーマートのこちらのスイーツ。
「うおお、生きてる」と、びっくりしました。
作ってるのたぶん機械ですよね..?(コメダ珈琲店のパンもそうですが)

ということは、(その場にいないはずの)開発者の情熱が生産工程の細部にまで宿っているんだと思います。それしか考えられない。
 
唯一の考慮は、今の世界にはそのことに気がつく人と、特に気がつかず素通りしている人の両方が存在している、という点でしょうか。
消費者はもちろん、生産者側にも気がついている人とそうでない人が入り混じっていて、その違いを通してそれぞれが「求めるもの」「より自分に合う環境」を考察しやすいようになっているのだと思います。
 
「良いもの、素晴らしいと思われるものをつくるか」「心から作りたい(届けたい)と感じるものをつくるか」この選択は1つの分かれ目なんだろうな、と感じていました。
 
後者にハンドルを切ると圧倒的に共鳴する人と、そうでない人(共鳴してくれない人)にはっきりわかれます。
でもそれが個性というもので、万人受けの先にはぼんやりが待っている。良いものを追求した先には、やっぱりそういう選択が待っているように感じるのです。


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