今年の3月、地元のコンビニエンスストアで働き始めた頃から
『6月』
やたらとそんなメッセージが降りて来ていた。
当時まだ日本で就職活動をしていたわたしは「え?6月?そんなにかかるの?仕事が決まるまで」というがっかり半分でそのメッセージを受けとっていた。
何が起こるのかは降りてこなかった。ドイツを離れる時「現実はきっと良くなる」という期待を手放したわたしとしては、それでいいと思っていた。
とりあえず今を楽しもう。
そして今朝
「29日か。結局何も起きなかったな」
そう思いながら身支度をして、ふと「いや、待て」と思った。
これまで直感が外れたことは一度だってあったか?
結局あれはなんだったんだろう、何も起きなかったな、という時は、大概自分が起こりつつあることに気がついていない時だったじゃないか。
バベルの塔のメッセージの符合体験は「直感に勘違いはなく、直感が符合しない時こそどこかで見落としや勘違いを起こしている」という理解をわたしにもたらしていた。疑いは意識の精度を鈍らせる。
6月に何が起こる?
もう一度内観してみて気がついたこと。それは「このフィルムから出られる」ということだった。
わたしは良きであれ悪しきであれ現実が変わることを想定していた。
それがそもそもの勘違いであり、そんな意識では気づけないはずだ。現実は意識より先には変わらない。6月に何が起こる?わたしの意識が変わるということだ。
途端に、ドイツにいた頃何度か「ああ、今わたしは、こういう夢を見ているんだ」と気づいてフィルムの外に出た経験、そうやって何度か現実があっさりと変わっていった体験を思い出していた。
ブログには書いていない。なぜかその気になれなかった。
魂の目的は現実を変えることではなく、本当の自分をはっきりと思い出すことだった。書こうとするとズレた。いずれ慣れて来たら今起きてることの本質を理解できるだろうと思っていたら、ある時急に現実は変わらなくなり、急転直下で日本に戻って来たのだ。
この半年間クリアリングする感情の多くは、過去生からの繰越感情が多くなっていた。タロットカード10番「運命の輪」という言葉によく出会う。魂の大きなサイクルが終わる。そういう時らしい。
蟹座新月前夜の昨日、新しいエネルギーが降りて来て、左の股関節がひどく痛んだ。また新しいブロックを外そうとしている、何のチャクラと関係しているのかしら?と思ったところ、こんな情報に導かれた。
第2チャクラと股関節の痛みからのメッセージ。 | カラダから"本来の心"を目覚めさせるスピリチュアルヨガセラピスト 大野まさみ
まさに、という感じである。
意識が硬くなると体も硬くなる、ということを最近よく感じていた。
音楽やスポーツ、バレエなどの世界では、プロを目指すなら小さい頃に始めた方が断然有利といわれている。それは誰しも子供のうちは意識が柔らかい=体も柔らかいからであり、成長とともに自分に課すルールがふえるほど、意識と体は硬くなってしまうからだ。
「自分の好きなことをすると周りに迷惑がかかってしまう」
この思い込み、わたしも該当しているのではなかろうか。
最初はそうは思えなかった。そもそもそんな風に思っていたらここまでわたしは違う風に生きていただろう。
しかし、よくよく観じてみると全てが符合するではないか。
日本に戻って来たのはお金を借りることで家族に迷惑をかけたからである。
そして「人に迷惑をかけない範囲であれば何をやってもオーケー」は我が家の家訓だ。(以前はもっと厳しかったのだが、今世わたしが片っ端から突破して幸せになってしまったので、その意識を反映してそうなった)
最後に、ドイツにいた頃過去生の記憶をめぐる旅をしていたことを思い出した。
最後に降りて来た一番古い記憶は、ある部族の予言者の過去生だった。幼いわたし(もちろん今の私ではないが)を導きトレーニングしてくれた師匠に「この力を絶対に悪用しない」と誓っていた。
しかし、予言者とは当時の社会において特別な役職であり、その時代の魂はまだ人間的な激しい感情の扱いに慣れていなかった。孤独にたえかね、その人生ではあるタブーを犯してしまい、罪の意識に耐えきれず衝撃的に人生を終えてしまう。
そんな流れだったように思う。
その時クリアリングした感情は、たしか「自分が許せない」だった。深かった。まだ細胞にはそんな感情記憶が残っているのかもしれない。もはや、今世自分がどう行動してきたか?は問題ではない。「現実で何が起きているか」が「意識の内奥で何を信じているか」の答なのだ。
なら、これからのルールはこうするのはどうだろう。
わたしが自分らしくのびのび生きて、やりたいことをやっていると、創造の光がほとばしる。
喜びと笑顔、そして関わる全ての人に豊かさあふれる世界が創造される。
魂は、喜んでいるように感じる。