星くずの叡智 森のささやき

元ドイツ在住キャリアカウンセラーの日記

本当の望みはいつも目の前に

以前コロッケパンが欲しいと思いセブンイレブンに買いに行ったところ、なかったことがありました。

ああ、ない...と思った直後、こんな感覚が降りて来ました。

😎「何かを欲しいと思っている時、お前はそれを"ない"と思っているからな。ないものは映し出せないんだ」

また別の時は、実際にほしいものを手に入れた体験を通して、こんな気づきを得たことがあります。

それは「欲しいと思っているものは、大概本当に望んでいるものと違う。だからそれを手に入れても、あれ?なんか違うなと思ってあきてしまったり、別のことを望むようになっている」というものでした。

そして「何かを手に入れ完全に満たされてしまうと、自分「が」欲するこのゲームは終わってしまう。だから、ちゃんとゲームをつづけられるよう、あえてそういう仕組みになっている」とも。

ないからこそ欲することができ、欲することができるから「ない」ものを手に入れようとすることができる。それを体験したくてこのゲームをしているということでした。
 
そしてまた「ない」と思っているものは映し出すことができない、ということは、本当に全ては思い通りに創られていることを物語っています。

今この瞬間を意識的に受け取るようになってから、わたしは、実は目の前にあるものこそ、今、自分自身が本当に望んでいるものである、ということに気がつくようになりました。

これまでは、目の前にあるそれを素通りして、わざわざ遠くへ望みを探しに行っていたのだ、とも。(もちろんそれを体験したくて、ですが)

出会った瞬間はそうと気付けないものも沢山ありました。
しかし、試しにお店では一番最初に目に入ったパンを買い、一番最初に試着をすすめられたスーツを買うようにしました。

「もっと良いものがあるかもしれない」と "今ここ" から遠くへ出かけたがるのをやめ、意識的に「今」を受け取るようにしてみたのです。起こって来た流れに疑いをいれることをやめたともいえます。
すると、確かにほしかった体験がそこにはあり、その体験は自分でも自覚できていなかった望みだったことに気がつきました。

引き寄せの法則、という言葉をご存知ですか?
欲しい体験をイメージすることで、意図的にそれを引き寄せることができる、というものです。
気づきが深まってくると、この法則は24時間はたらいており、そもそも望んだことしか映し出せない世界に最初からいたことがわかってきます。

望みどおりにならないことが目の前にあるとしたら、その "望みどおりにならない体験" こそが本当の望みであり、そうと気づいていない自分自身がいるだけだった、ということになってきます。
ズレていたのは現実の方ではなく、いつも自分の方だったなんて、あらら、という感じですよね。
 
わたしは先日受けた採用面談を「なんだかテストみたいな面接だな...」と思っていました。その後、そもそも自分はできるということを社会に認めてもらいたかったことに気がつきました。そう、わたしはテストしてもらいたかったのです。
 
先日引用させていただいたアニータ・ムジャーニさん。病気になる前から自分で自分を殺していたと語られていましたね。彼女は自分をなくしたかったのかもしれません。

本当に望んでいた体験が今、目の前に来ているだなんて、なんだか複雑かもしれません。
でもそのことに気がついた時、わたしたちはまたひとつ目覚めが深まったことを体感するように思います。