わたしの仲良し室内楽メンバーは大学時代の同期。
年齢的にも今年40才を迎えることもあり、私以外のメンバーは全員結婚して子供もいます。
なので、いざ「アンサンブルやろ〜」といっても、普段仕事をして、かつ小さな子供もいるとなれば、まず練習時間を確保するのが至難の技。いったいどこで時間をつくれるのか?という現実的な問題になってくると思います。
以前はそのことに遠慮して、ドイツから日本に帰省する時も
「どうしよう、みんな忙しいだろうしな...」
と、声をかけることすらためらっていた時期もあったのですが
「いやいや、今、わたしはどうしたいのか。まずはその気持ちを素直に表現しなくちゃ。自分自身のために」
「大丈夫。ダメだったらきっとダメっていってくれるさ」
と、迷いを振り切ったが最後、それからは帰省の度によく声をかけ、集まったりアンサンブルするようになったのでした。
日本に戻って来てからも、もちろんみんなの忙しさは変わらない...のですが、ある時「はっ」と気がついたんですよね。
「いやいや、待て。
魂としては、子供がいても全然大丈夫だから、子供のいる現実を映し出してるんじゃないか」
「みんな自分でなんとかなる現実しか映し出していないんだから、ここで遠慮するのは、筋違いってものじゃないのか?」
そう、相手の魂としての器の大きさを信頼してない。
もちろん、表面的にはちょっと大変そうに見えるときもあります。事実忙しかったり、やることがふえているようにみえたり。
でもそれは、個人意識の制限を突破するために自分で自分自身に課した制約だったりするもので、必ず自分の意識でその壁は超えていけるはずなんです。
それは、わたしがわたし自身にお金という枷をはめて自分の殻を破ろうとしたことと、きっと魂的には何ら変わりがないんだと思うのです。
何を制限として使うかはその人次第、そこには魂の学びも深く関わっているので「家族」や「時間」を制限とした方が、学びが深まるケースもあります。
そのことを100%信頼して、わたしはわたしのやるべきことに集中する方が、相手の状況に気遣いしたり遠慮するよりずっといいわ、と感じるようになったこの頃です。
だってその人の本質はいつだって完全で、大丈夫なのだから。🌟
ということで、困った時は青字部分を自分の問題に置き換えてみませんか?
「いやいや、待て。
魂としては、子供がいても全然大丈夫だから、子供のいる現実を映し出してるんじゃないか」
「全然大丈夫」の意味は「それを問題とは捉えず、自分の喜びに邁進できる」。
さあ今日も、わたしの本当の喜びを問い続けよう☆
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