それが目醒めていくということ

呼吸をしたり

水の冷たさを感じたり

空の青さを見つめたり

 

そんな何でもないことが喜びなんだよ

 

人生に喜びがあるんじゃない

 

キミという存在が喜びそのものなんだ

 

人生のある時

あるいは、最期の時を迎える時

きっとキミは気がつくだろう

 

喜びでない瞬間が存在しなかったんだ、と

 

それが目醒めていくということなのだから

 

 

世界の中心はわたし

わたしは普段、 あまり怒りません。
 
昔はしょっちゅうイライラしていたように思いますが、それは自分で自分自身を抑圧していたからだと感じています。(感情は抑圧すると怒りに変化します)
 
自己統合をすすめるようになってからは、怒りが湧き上がってくることは少なく、たまに怒ると「今日は新鮮な体験をしたな!」と感じるようになりました。
 
ここ数日、人からさんざん罵倒される現実を体験し、久しぶりに怒りを感じることがありました。

そしてその時、自分でも自覚できていなかった怒りが出てくるのを感じて、ふと思ったのです。

「ああ、わたしって、ここまでされないと怒れない人だったんだな」って。
 
わたしたちは、捉えることのできた感情しか手放すことができません。
つまり、怒ることができない内は、怒りを手放せないということ。
 
「喜怒哀楽」という言葉に象徴されるように、怒りは本来自然な感情の1つです。
扱い方を工夫する必要はありますが、怒りを感じること自体は、わたしたち生来の感性が正常に機能している証拠でもあります。
 
ところが、どうもわたしは基本スペックの1つに「我慢強さ」というのがあるみたいで、ところどころ感受性が麻痺しているようなのです。
 
たとえば、お金の問題を体験した時に感じたことは「わたしって、ここまで追いつめられないと、助けを求められない人だったんだ」ということ。

最初から何も我慢していなければ、誰も自分を解放するために特別な現実は必要ないと思うのですが、人間というのは、自分でもなかなか、何を我慢しているのかわからないようなのです。
 
現実は、出来事だけ見ると時にいたたまれない時もありますが、そういう見方をすると本当によくできている、というかやっぱり自分で起こしていますよね。
心の深い部分では、誰もがセルフ劇場です。
 
今回気付かされたことは、「世界の中心はわたし」ということを、わたしは間違いなく忘れていたということ。
周囲との調和を重んじるあまり、どこかで周りに合わせていた(意識が外向きだった)ことに気づかされました。

その自分軸のズレがつくった空間の歪み、エネルギー的なバグが他者に不可解な行動を起こさせていたようなのです。
 
ということで、意識の内で設定し直しました。

世界の中心はわたし。

わたしの世界において、わたしという存在、わたしという生き方に意見することは何人たりにもゆるされない。

わたしという意識が他者に迎合しなければ、本来それはゆるされない(起こって来ない)ことなのだ。
 
と。
(自分がゆるしたことしか起きて来ないわけだから)
 
そしたら、問題はあっさり解決しました。

水のエレメントは確かに他者とわかりあえることを求めている。

でも、それは心の交流であって、誰かに価値観を押し付けられることを望んでいるわけじゃないんだよね。
ただ、わたしが心を開いてわたしそのものである時、水のエレメントがあふれて、自然と周りの人が心を開きやすくなる(=交流が起こってくる)というだけで。

ということで、意識の内で宣言もしておきました。

我に意見する必要はない
誰もそれを求めてはおらぬ

と。

そういえば、罵倒ゲームの最中に「偉そうだ」っていわれちゃったんですけど、仕方がありませんね。わたしは月星座獅子座。生まれながらの王者なのです。

そして、そのことをどこかで否定していなければ、こんな罵倒ゲームを起こすこともなかったと思うと、まったく凝りませんな〜と感じます。
 

2022年、新しいスタートの準備はいいかい?

今年の始め、わたしは直感的に「今年は陰を極める年になる」と感じ、そう書いていたように思います。

なぜかは、はっきりとはわかりませんでした。

5月11日、木星が牡羊座に入ります。
木星が魚座に入った時同様、世の中のエネルギーが大きく変わることが予測されます。
 
木星がサイン(星座)を変える時というのは、これまで比較的早く影響が出ると感じていたのですが(わたしの体験では、だいたい3ヶ月くらい前に違うことをやりたくなっていた)、今年は不気味なくらい何も感じなくてですね...、正にゼロに戻る(=12星座の振り出しである牡羊座に戻る)タイミングなんだな、と感じていました。
 
わたしの周りには「今日は〇〇座の新月だから」と話しても「なんですか、それ?」という方もたくさんいらっしゃるのですが、そういう方に限って、行動だけ見るとしっかり星回りの影響を受けていることに気がつきます。
無意識レベルで自分とつながっているとそうなるんでしょうね。
 
木星が牡羊座に入る影響を受けない方はいらっしゃらないと思いますが、特に土星までの天体に火のエレメント(牡羊座・獅子座・射手座)をお持ちの方は、エネルギー的な触発を自覚されやすいと思います。
 
木星は、全てを拡大・発展させるエネルギーを放っています。
それが牡羊座に入ると、牡羊座はもちろん、単純に考えても獅子座や射手座にある天体と調和的な角度(120度)をとりやすくなりますので、あなた自身の火のエレメントの要素が拡大されやすくなっていきます。

気をつけなければならないのは、宇宙エネルギーはこちらの器の大きさに合わせて「適度」を判断してくれるわけではないので、木星の影響を受けると、自身の内にある要素が全てそのまま拡大されてしまう、ということです。
必ずしも必要な要素だけではなく、余計なもの(=断捨離しそびれたもの)も拡大されやすくなります。

例えばわたしの土星は蠍座にあるのですが、木星が蠍座に入った年は、委託先企業からの仕事がコントロール不可能なまでに激増しました。
木星が蠍座と同じ水のエレメントである魚座に入った昨年は、今度はお金を通してコントロール不可能な現実を体験することに。

蠍座土星というのは、わたしの内なる「他者への依存心」「現実をコントロールしたがる欲求」を象徴しているのですが、それが木星のパワーによって増大し、4年前は「他者から依存される状況」を、昨年は「他者に依存せざるを得ない状況」を強制的に創り出したといえます。
 
もちろん、根本的な原因はわたし自身の内的な依存心にあり、それがそのまま現実に現れただけなのだと今ならわかるのですが、運行中の木星の影響を受けると良くも悪くも現実が予測不可能なくらい拡大してしまうことがある、というのがわたし自身の体験談です。
自分自身の内側にある、プラス因子もマイナス因子も拡大されるということで、その拡大されたエネルギーの渦に巻き込まれないよう、しっかりと意識を持つことが大切なのだと思います。
 
ということで、今年は特に火のエレメントをお持ちの方、ぜひ試される準備を。
というか「一番気をつけなければいけないのは自分じゃないか!」と、先日気がついたんですよね。(汗)

わたしは自分軸の中心となる太陽と月が射手座と獅子座で、ほぼ120度のトラインをとっています。
運行中の木星が牡羊座に入った場合、遅かれ早かれ「火のグランドトライン」とよばれるものが形成されることになります。

グランドトラインについてはこちらをどうぞ

何事にも陰陽両極があります。完全調和、すなわち動き出したらとまらない。単純に考えてもたぶん通常の2〜3倍注意した方がいい。
それだけでも要注意なのに、わたしは天王星や海王星まで射手座にある。(意識の半分以上が射手座なんです)

マズイ、これは下手すると完全に自爆するぞ。

自分自身の内側から巨大なエネルギーが起こってきた時、人は必ず試されます。
ぶつければそれは自分に返ってくるし、抑圧すればそれが現実にあふれ出し、外からつぶされる。
上手く活用したり、物質的な形に昇華できた時だけ、素晴らしい結果を生み出す。
 
それでどうするのか?ってなった時に、大切な要素が「水のエレメント」みたいなんですよね。

「水」だけが唯一「火」を鎮火できる。
自己の内的なエネルギー(暴走する情熱)を調和させ、今の自分自身にコントロール可能な形にまで鎮火することができる。

それで今年は「陰を極める」だったみたいなんです。(水は陰)

 自己の内的なエネルギーは、こうやってマスターしていくんですね。
ということで、火のエレメントの皆さん、今年は一緒に頑張りましょう。

人生に、乗り越えられない壁はない!!

全力で受けとって

少し前の話になりますが、日本に戻ってくるときの飛行機で『ラ・ラ・ランド』という映画を見ました。
  
公開された年がちょうど講座を開講した頃で、その当時の受講生(1期生)が「この前こんな映画を見て、もっと心のままに生きていいんだ!って思ったんです」と話していたことを覚えていたんです。
 
ちょっとネタバレになってしまうのですが、『ラ・ラ・ランド』は夢を叶えた2人のラブストーリーで、最初はお互いの夢を応援し合うパートナーシップだったものの、最後はちょっとほろ苦い。
ラストシーンでは『もしもあの時こんな選択をしていたら、2人の人生はちょっと違ったものになっていたかも?』といったアナザーストーリーが回想されます。
 
監督はこのラストで「必ずしも一緒にいることだけが愛ではなく、たとえ別れの選択をしたとしても、互いを思う気持ちがあれば愛は生きつづける」ということを意図されていたようなのですが(そして何を隠そう、わたしも以前はそう思っていたのですが)、実は今回、わたしはこの映画からちょっと違うメッセージを受け取っていました。
 
それは、この回想シーンで流れる『もしもあの時こんな選択をしていたら』の人生が、もっと今ここの喜びだけを生きて、愛も夢も、あなたが望む全てを受け取っていいんだよ!と伝えているように見えたんですね。
 
アナザーストーリー『もしもあの時こんな選択をしていたら』の2人は、デフォルメ化されていることもあって『今ここの喜びだけに生きている』ようにわたしにの目には映ったんです。

今、こうしたいから、こうする。
今、一緒にいたいから、そうする。

自分の思う将来の成功のために何かを犠牲にしようとしたり、今ここの本当の気持ちを偽ったりしない。

ただ、今、心からこうしたいからそうするんだ! 

それだけ。
   
わたしたちは、自分自身の器の大きさで物事を考えるあまり、愛か夢、どちらかしか叶えられないと思い込んでいるから、無意識にどちらかを犠牲にする生き方をしてしまうのであって、本当は全て叶えていいし、全てを受け取っていい。

それがこれからの本来の人生なんじゃないのかな?ということでした。

この映画の場合は、愛か夢かという形で二者択一が描かれていますが、その制限をどんな形で体験するかは人それぞれ。
仕事と家庭も同じ。(もしかしたら、独立と安定も?)

いずれにせよ人は、自分の器に見合った幸せの大きさしか、受けとることを自分に許可していない、そのことに気がついたらどうだい?ということでした。
 
そういえば以前『人生では何を選んでも正解。どちらを選んだとしても、結局はその人の器の大きさに応じたクリエイション(創造)しか起きてこない』というメッセージを受け取ったことがあります。

真に創造の形を決めているものは、選択ではなく、器の大きさである、と。

この場合の器の大きさとは、自分自身にゆるしている幸せの大きさのこと。

『ラ・ラ・ランド』の最後では、2人が夢ではなく愛を叶えることを選択した『ifストーリー』が描かれるのですが、そこで描かれる未来は実際のタイムラインよりちょっと素朴で庶民的な仕上がりになっています。

映画本来のラスト、主人公が大女優となって派手に成功して優雅な暮らしを、という形とはちょっと異なるんです。(もちろん、それはそれで素敵なんですが)
 
愛を叶える選択をとったらとったで、今度は2人の夢の形がそれにあわせて変形していくことになる。
(愛と夢、どちらかの形をどちらかに合わせて変えていかないといけない、と思っているから、その通りになっていく)
 
全てを叶えることを心の奥底で許可していなければ、どちらもを最高の形で叶えていくことはできなくなる。
これがわたしたちがいままで体験して来た制限の正体なのではないでしょうか。


映画を観た当時はまさかそれが自分自身へのメッセージだとは気づかず、思い切りスルーしていました。(笑)
 
3月の魚座新月あたりで「あれ?わたし日本かドイツどちらかしか選べないと思っていたのでは?」と感じたものの、それでも気づかなかった。

世界は本当にメッセージにあふれていますね。


どこにもいかないで、ただ今ここにいて

沖縄在住の修了生と東京でお会いしました。
 
水のエネルギーの強い方だったので、話題は自然と水のエレメントの話に。

水のエレメント(蟹座・蠍座・魚座)の強い方は、本来とても「共感力」の強い方。
太陽と月に水を持っていなくても、どこかの天体が水のエレメントで、自身の水の要素を上手く使いこなせていないと、この世では色々と生きづらいものです。

言葉にできないものを察知する力に優れたあなたにとって、この世界は非常に感情的な騒音にあふれています。
 
普通に日常生活を送っているだけなのに、人間関係で必要以上に傷つき、人と一緒にいることに疲れてしまったり、周囲の問題を知らぬ間に背負いこんでしまったり。
 
また、過去をいつまでも引きずりやすく、感情の切り替えが上手くできない自分自身に対して嫌気がさし、自分を持て余してしまう、といったことはないでしょうか。

だからといって、そんな感受性の強い自分を封印してしまう(なかったことにしてしまう)ことを、望んでいるわけでもないのです。
 
わたしは火のエレメントの次に、水のエレメントが強く、そのことがこの仕事には強く影響してきたと感じています。
自分でも持て余し気味だった水の要素を解放するために、講座やカウンセリングで感情の取り扱い方を取り上げることが多かったのではないかと思うのです。
 
水は他者とわかりあえることを、いつも心のどこかで望んでいます。
水に国境線はありません。本来全てのものは一つ。そのことを、あなたは心のどこかで生まれながらに知っているのです。

水は自らの意思でどこにも向かいません。
どこにもいかないで、ただ今ここにいること。そして起きて来た大いなる流れと1つになっていくことを望んでいるのです。
 
水は決して正解を求めません。
ただ今という瞬間を受けとめ、感じ尽くすこと。そして「正しい」とか「間違い」といったもののない領域に抜けていくことを望んでいるのです。

なぜなら水は、全てを愛するために(受け入れるために)生まれて来たのだから。

水のエレメントの強い方には、本当は全てを愛せるわたしになりたい、という願望が心のどこかにあるのではないでしょうか。
それが人間関係に人一倍傷つきやすい理由なのではないかと。

あなたは、何かを愛せない(受け入れられない)自分に人一倍傷ついているのです。そんな自分を持て余し、持ち歩くことに少し疲れてもいるのです。

本当はただ、ゆっくりと羽を休めたい。もしもそれが、わたしにゆるされることなら。というのは、どこにおいてきてしまった本音でしょうか。

人一倍傷つきやすいということは、人一倍感動できるということ。
他の人にとっては何でもないことが、あなたにとってはきっと特別で神聖な瞬間となることでしょう。
 
「たくさん傷ついて、たくさん泣いて、たくさん感動するために、わたしは水を備えて生まれて来たのだ」と、ある時わたしは感じたものです。
 
魚座木星期間もあと少し。
あなたは何を、愛せるようになりましたか?


あなたの意識は内向き?外向き?

新学期がスタートして、街中のお店やカフェでも新しいスタッフさんが目につくようになりました。

わたしもコンビニで働き始めた当初「あれ、新人さん?大変だね、がんばって」とお客さんに声をかけてもらいましたが、やっぱり新しい方ってわかりますよね。
 
それは動作や気配りがちょっと「ぎこちなく」「その場にはまりきっていない」ように感じられるから、なのですが、その本質的な理由は、新しくジョインした空間(場所)においては、どうしても意識が外向きになりやすいからだと感じています。

「どうしたらいいのか」「どうすべきか」答を外に求めてしまうから、ともいえるでしょう。

日本に戻って来た当初、わたしが「自分とつながれない」と感じるようになったのも、基本的に外に答えを求めてしまったから、つまり「こういう時、日本においてはどうすべきなのだろう?」と考えるようになってしまったからだと思います。

わたしにとって、ドイツという国は意識の内にありましたが、日本という国はまだ意識の外にあったのだと思います。

考えれば考えるほど、人は「今ここの本音」という自己の本質から遠ざっていきます。

すると「こうしたいな」とか「こうすることがわたしにとっては自然」といった、自分にとっての真ん中が、どんどんわからなくなっていくのです。
 
基本的に外の空間には様々な人の想念や思いが飛び交っていますから、自分軸がズレると、そうしたものに惑わされ自身の内側が混乱してしまったり、迷走しやすいといったこともあるでしょう。
そのブレが周囲には「ぎこちなさ」として現れやすいのだと思います。

とはいえ、新しいことに挑戦することは、ある意味、新しい意識回路を開通させ、新しい自分自身を創造するチャンスでもあります。
 
失敗を恐れず、体験を通して自分と一致すること、自分自身の意識を内側に向けることだけに集中していくことで、自分軸は太く大きく育っていくことでしょう。


冥王星逆行

4月の終わりからまた冥王星が逆行するんですね。

うーん..これはあくまでわたしの解釈なのですが、

・冥王星の逆行している期間というのは、わりと「潜在意識の書き換え」が進みやすい期間であり
・順行している期間は、その書き換わった情報を「肉体次元(物理次元)に落とし込み、現実レベルでも不要なものを手放していく」期間

なのかもしれません。

「書き換え」と「手放し」って似ているようでちょっと異なるんですよね。

「書き換え」は、根っこの情報を上書きしたり変更することで、知らない間に(無自覚なレベルで)自動的に起こっていることもあります。

一方「手放し」は、書き換えた後に浮上して来る不要な力みやエネルギー、肉体レベルに染み付いた古い言動パターンをリリースしていくことで、意識の新しい設定を現実に落とし込んでいくために必要なプロセスと感じています。

現実で何か揺さぶられるようなことがある時は、おそらく「意識の書き換え」に基づき「不要なエネルギーを手放すプロセス」が起こっているということです。
新しい自分に変容するために。
 
冥王星は昨年も4/28〜10/7に逆行していたのですが、逆行が終わる頃、わたしが何をしていたのかといえば

お金の問題が浮上して必死に向き合っていた。

いやこれはもう、相当試されましたよね。(笑)
当時は決死の覚悟だったのではないでしょうか。

この時はまだ住み慣れたドイツを離れることも予測していませんでしたし、本当に色んなことがここから五月雨式に変わっていったと思います。

ただ、わたしは一般的な流れより少し先行して揉まれる傾向があるようなので、たぶん本格的な変革はその1ヶ月後の蠍座新月から

乙女座満月までの間だったのではないでしょうか。


昨年は確かに冥王星の逆行中、潜在意識の書き換えを行なっていたことを覚えています。

夏に水瓶座の満月が2回あったのです。
それで「許しの瞑想会と満月の祝福ワーク」というものを行ったんですよね。

初めてのことだったので上手くできるか不安だったのですが、この時「意識の書き換えってこうやるんだ〜」と思ったのを覚えています。
 
そしてこの時意図したことは、確かに叶いつつあります。

それはまた別のブログに書きたいと思いますが、わたしの放った意図は「現実をこう変えたい」というより「こういう意識に変容したい」というもので、そのために不要な無価値観や力み、外向き意識が、冥王星が順行に戻った途端一気に浮上して来た(現実化してきた)という感じなのかもしれません。
   
うーん、ここまでヒントもらっておいて、何も感じないわけにはいかないですよね。
 
星読みはある意味エネルギー予報みたいなものなので、要はそれをどう使っていくか?だと思うのですが
(明日は雨ですよ、といわれても家で本を読んだり、水族館に行ったり、映画を見たり、その選択は各自異なる) 
少なくともわたしの魂は今回も注目しているようです。

こうご期待!