たまたま今日、星読講座の動画を拝見していたところ、生計感覚という言葉が出てきてわたしの気づきと符合しました。それは
「何かに頼らなくても自分は自分の力で生きていける、という感覚」
これがあるかないかで会社で働いていても、個人事業主として働いていても、あるいはまた働いていなかったとしても、その人の生き方や人生は全く違ったものになる、というものでした。
本当にその通りで、わたしの場合は、独立して自分の本当にやりたいことを講座としてリリースしてから、そしてそれがお金になっていく体験を積んでから、自分という存在に格段に自信がつくようになりました。
わたしには価値を生み出し、本当にやりたいことを自由に表現しながら生きていく力があるんだ!
その感覚がわたし自身に自信を与え、フリーランスとして企業での仕事にジョインした後も「会社の意向をうかがうのではなく、自分自身の本当の心地よさを追求する勇気と原動力」を与えてくれたことはいうまでもありません。
どこで何をしていても、わたしの働き方、そして生き方は、圧倒的に変わってしまったのです。
大切なことは、内側が先、外側が後ということ。
いつだって、自分の感覚「わたしはできる!」「絶対に大丈夫」という感覚が先であり、現実は後からその感覚についてくる、ということです。
(同時にそう思っていなければ、そうはならない、ということでもあります)
そしてこの「わたしはできる!」「絶対に大丈夫」という感覚は、わたしたちが魂の思いのままに生きられるようになった時、自然と湧き上がってくる根拠なき自信に近いものです。
それは、わたし自身がそうであったからだけでなく、自分の夢を形にしたクライアントさんたちから「本当にやりたいことをやっていると、不思議となんとかなる気がしてくるものですね」という言葉を何度も聴いてきたからでもあります。
もちろん、わたしもその人たちも、最初からそう思っていたわけではありません。(わたしは、独立なんて絶対無理!!といってました...)
ただ自分と向き合い、自分自身の思いに素直になる内に、自分とつながっていた感覚を思い出し、自然と感じ方が変わっていったのだと思います。
本当の自分自身を思い出したともいえるでしょう。
わたしの場合は、それがある時突然できなくなってしまった。
どうしてだろう?自分でもどうにもできない...
そんな形で急転落下してきたのがこの1年。
なぜならそれは、わたしが自分自身でお金をつくることにこだわっていたからでした。
もちろん、本当にそうしたいならそうすることができます。
しかし、魂のステージが変わってしまった場合はどうでしょうか。
自己完結のステージは終わり、より大きな力に生かされていることを学ぶステージに突入したのであれば、わたしはどこかで他者の存在を頼ることを学ばなくてはなりません。
わたしには価値を生み出し、何かに頼らずとも自分の力で生きていく力があるんだ。
という感覚が、第3チャクラの男性的なパワーだとしたら、
わたしは自分で稼がなくても大丈夫、いつだってみんなに生かしてもらえる。
という感覚は、非常に女性的な安心感です。
ところがわたしには、後者の感覚がすっぽり抜け落ちていたので、人生においてそんな選択肢はこれまで存在しなかったのです。
では、実際はどうだったのでしょうか。
この1年、わたしはちゃんと周りの人に生かされ、愛され、幸せな日々だったと感じています。
目を覚ませ! 第3チャクラ3
みんなと夢を叶える、みんなで問題を解決していく、といっても特別なことは必要ありません。
あなたのすべきことは、ただ自分という意識の中心点にどっしりと構え、いつも今ここだけにありつづけること。
それ以外にないのです。
あなたが自分とつながれば、その在り方が共振共鳴して、周りのみんなも自分とつながり始める。
そしてそれぞれが、それぞれのやるべきことを理解し、自分自身のやるべきことに集中しはじめる。
わたしたちは、目には見えなくてもつながっているから。
そうやって、全ての夢は叶えられ、全ての問題は解決されてゆくのです。
その時あなたは、あなたのおかれたグループのチューニング係となり、グループの中心点にいることが多くなるかもしれません。
(みんなの夢の発案係になったり、あなたのもとにみんなで解決すべき問題が起こってきたり、あなたを中心に周りを巻き込む流れが展開されてゆくのです)
あなたがズレれば、みんながズレます。
ですからズレないでください。
自分の中心点に、しっかりと意識を起きつづけるのです。
そして、起こってきた流れに対して、自分で何かをはたらきかけようとしないこと。
もちろん、そうしたいと感じたことに対してはそうしても構いません。
でも夢を叶えたり、問題を解決したり。
それはあなたの役割ではなく、最初から全体性の役割なのです。
わたしたちの間に起こってくる流れが全てを決めているのです。
誰が何を担当し、そのプロセスで何と何を結びつけ、どう展開させてゆくかを決めている。
我々は、いわば起こってくる流れに糸をひかれる存在なのです。
その流れを遮ったり、反発することなく、ただ受けとめ、委ね、踊らされてゆく。
これが自分とつながる力、自己信頼、第3チャクラ(太陽神経叢)の女性的な力だったのです。
目を覚ませ! 第3チャクラ2
先日父と食事に行った際のことです。こんなやりとりがありました。
「大成功とはいわずとも、十分なお金を稼いで、せめて平日の昼間にこういうところに食事に来る中流階級以上にはなりたいよなぁ」
「う〜ん、でもわたし、今、最底辺にいるけど、人に恵まれて幸せだよ」
「いやいや、普通は借金し始めたらみんなそこで沈んじゃうんだよ」
「わたしだって沈んだよ!(笑)。そしたら、お父さんはじめみんなが『つかまれー』って浮き輪を投げてくれたんだよ」
父は「そうか〜」と笑っていましたが、その瞬間、はっとわたしの内に気づきの光がさしました。
そうか、そうなんだ。
それが魂の計画なんだ。
これは、自分の力でなんとかしようとしちゃいけない問題なんだ。
その瞬間、これまで就活をしていた自分の根底に「自力でなんとかしよう」という力みが残っていたことに気づかされました。この「自力でなんとかしよう」という力みの残ったスタンスには、全体性は介入できないのです。
夢には2通りの叶え方があります。
1つは自分の力でそれを形にしていく方法。そしてもう1つは、他人の力でそれを形にしてもらう方法。
どちらが良い悪いはなく、どちらも私たちにとっての喜びです。
自分でそれを叶える喜び。
他人にそれを叶えてもらう喜び。
そしてどちらも厳密には、意識が今ここという自分の中心点に在る時(創造主の場所に在る時)、自然と起こってくるプロセスなのです。
自分と一致していると、自然とそうしてしまったり、それが起こってきたりする。どちらの流れが起こってくるかは、全体性における今のあなたの役割によって変わります。
あなたが叶える役ならきっと行動を起こさずにはいられなくなるでしょうし、叶えてもらう役なら行動を起こす気にはなれない。
これは与える役と与えられる役、助ける役と助けられる役にもいえることで、全ては全体性という創造エネルギーの戯れから生まれる1つのシナリオであり、その流れと一致していればわたしたちは自然と流れに乗っていくことができるのです。
先日、カルテット仲間と選曲してい時に、ポロっと「わたしの本命はベートーヴェン」ともらしたところ、こんなやりとりがありました。
「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、何番をやりたいの?」
「本音をいうと、4番から13番まで全部。このままじゃ死ぬまでに終わらないかも、と思ってドイツでもカルテット結成しようか迷ったほど(笑)」
「あやちゃんの野望、さすがですね!おつきあいしますよ」
「本命はベートーヴェン、わたしもそうかも」
夢を叶えてもらう、というのは丁度こんな感覚で、自分の本当の気持ちを表現しただけで、仲間がそれを叶えてくれる。
カルテットなんてわかりやすいと思うのですが、自分一人では何もできないのです。(4人揃わないとカルテットにならないから)
つまり、後者のターン(夢を叶えてもらう役回り)にある時というのは「その夢は、あなた一人のものではないですよ」「みんなの思いが形になったものが、あなたのもとに最初に降りてきただけなので、みんなで叶えてくださいね」ということなのであり、今、そういう役回りの人はふえてきているのだと思います。
同じように、世の中には「その問題は、あなた一人のものではないですよ」「みんなの学びのために起こってきたギフトなので、みんなで解決していってくださいね」という出来事もあり、それが「物事には全て解決すべき時があるのだから、自力でなんとかしないように」ということなのでしょう。
そしてこれはおそらく、これからわたしたちが夢を叶えたり、問題を超えていくプロセスにおいて、とても大切な着眼点なのかもしれません。
つづきます。
目を覚ませ! 第3チャクラ
ここ何日か、超ド級の気づきがドドドン、とやってきたので書き留めておきたいと思います。
わたしはドイツで個人事業主をしていた頃、資金繰りがうまくいかなかったり、売上税が払えなくなったり、手元に十分なお金のない状態で帰国を決断したり、といった理由から家族に200万円以上の借金をつくりました。
そして帰国してからは、それを定期的に返済し更生する生活を求められ、でもなかなか上手くできない自分を持て余しぎみ...という感じの日々を送っていました。
そんな中、自分から受けとったメッセージの1つに「物事には、全て解決すべき時期というものがあるのだから、全てを自分でコントロールしようと思わないように」というものがあります。
わたしの両親は20年以上前に離婚していて、以来互いにあまり連絡をとっていなかったようなのですが、今回の件を機に、妹を含め家族が再び連絡をとるようになったという経緯がありました。
そして、それを知った友人たちからは「それは何か意味があって起こっているよ」といわれたことも。
つまり解決すべき時期というのは、わたしが決めることではなく、全ての準備が整った時に自然と問題は解決するから、焦らないように、という忠告だったのでしょう。
実際この問題の本質はお金ではなく、身内に対して「今、自分自身の感じていること」「本心」を素直に打ち明ける姿勢を学ぶことにあると感じるようになっていました。
それは、できないことは「できない」と、お金がない時は「お金がない」と伝える勇気を学ぶことであり、家系のカルマを終えていくことだったと感じています。
実はわたしたちのカルマ(生き方の偏り)には、意識のカルマと肉体のカルマがあり、前者は魂の輪廻の過程で身についた生き方の偏り、後者は肉体にDNAとして引き継がれた記憶から細胞に染み付いた生き方のクセのようです。
わたしが今回向き合っていたカルマは後者であり、それは根っこを辿ると、大丈夫ではない時に大丈夫と云ってしまう、いわば素直になれないやせ我慢のクセだったとも感じています。そして、それは家族と共に昇華することが色々な意味で近道だったので日本に戻ってきたのかもしれません。
またこうともいえるでしょう。
わたしにとって魂のカルマを昇華するのに最適な地はドイツであり、肉体のカルマを昇華するために最適な地は日本だった、とも。前者のプロセスは一旦終わったのです。
つづきます。
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自分の道が分かれ始めている
実はわたし、魂の導きでまた就職活動を再開することになったのですが、その過程で、本当はいるべき場所にいない人なんて誰もいないし、やるべきことをやっていない人もどこにもいないのだ、と感じるようになって来ました。
自分とつながっていると不思議と今、どうしたらいいのかが「わかる」。
なんとなく、今、派遣会社に登録しようかな、とか、これに応募しようかな、とか。
そして、話がトントンと進む過程で、いろいろな情報を収集していく。
物理次元の結果以上に、本当はこのプロセス(体験)そのものが魂にとっての目的なのだけれど、今までは単に自己信頼(自分で自分の現実を創造しているという自覚)が弱かったために、そのことがわからなかっただけなのだな、と。
そして逆説的なのですが、結果を手に入れる一番の方法は、結果を手放すことなのだ、とも。
なぜなら、現実の全ては映像(フィルム)であり、そこに映る結果を創造するのは私(個人意識)ではなく魂だから。だから、自分で or 自力でなんとかしようというスタンスが少ないほどスムーズに運びやすい。
一番最初の仕事がスムーズに決まったのは、わたしが執着を手放していたから。
13年ぶりの日本で、突然の帰国。これから何をやったらいいかも全くわからなかった。だから何とかしようという力みもなかったし、流れに任せるしかなかったんですよね。
自分とつながっているかそうでないかのサインは、わたしにとって、段々わかりやすくなっているように感じます。
誰かと話している時、自分とつながっていると色々な情報がよくわかる(その話を量子レベルで体感できだり、心地よくイメージできる)のに対して、つながっていないと全く理解できない。なんといいますか、先方の話が意識の中に入ってこないのです。
ビデオテープの早送りみたいにそこだけすっぽり記憶が抜け落ちてしまって「ええと、今の話なんだったっけ?」となってしまったり、急に眠くなったりする。
イメージできるかというのは魂にとって大きなサイン(その回路にアクセスできるか、その現実を創造できるかどうか)みたいで、イメージできる仕事と、全くできない仕事があることに気が付き始めました。
見えない道が明確に分かれ始めているんだ。
照らし出される道は、今の自分自身の意識の在りようによって変わる。だからわたしの魂は、音楽を再開したり、毎日を喜びいっぱいに満たすことに集中していたんだね。
昨日は面談で「今後のキャリアビジョン」を聞かれたのですが、毎回思考がつい未来に飛んでしまって困るんですよね、この質問。
「今、どうしたいか」はわかる。そして、今日ここにいるべきだからわたしはこの面談に来た。そこまでは確か。
でも未来のビジョン...。
誰もが幸せに働ける社会をわたしの魂はイメージしているけど、でもそれを創造するのはわたしの魂であって私(個人意識)ではない。
それは、わたし「が」実現するビジョンではなく、わたしが私自身を生きた結果辿り着く未来予想図といった方が近いのかもしれない。
なので、私の答は「その時その時やりたいことにチャレンジしつづけたいです」なのかもしれません。
ぜひ、魂の喜びいっぱいで秋分の日を迎えましょう☆
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なんとかなる現実しか映し出していない
わたしの仲良し室内楽メンバーは大学時代の同期。
年齢的にも今年40才を迎えることもあり、私以外のメンバーは全員結婚して子供もいます。
なので、いざ「アンサンブルやろ〜」といっても、普段仕事をして、かつ小さな子供もいるとなれば、まず練習時間を確保するのが至難の技。いったいどこで時間をつくれるのか?という現実的な問題になってくると思います。
以前はそのことに遠慮して、ドイツから日本に帰省する時も
「どうしよう、みんな忙しいだろうしな...」
と、声をかけることすらためらっていた時期もあったのですが
「いやいや、今、わたしはどうしたいのか。まずはその気持ちを素直に表現しなくちゃ。自分自身のために」
「大丈夫。ダメだったらきっとダメっていってくれるさ」
と、迷いを振り切ったが最後、それからは帰省の度によく声をかけ、集まったりアンサンブルするようになったのでした。
日本に戻って来てからも、もちろんみんなの忙しさは変わらない...のですが、ある時「はっ」と気がついたんですよね。
「いやいや、待て。
魂としては、子供がいても全然大丈夫だから、子供のいる現実を映し出してるんじゃないか」
「みんな自分でなんとかなる現実しか映し出していないんだから、ここで遠慮するのは、筋違いってものじゃないのか?」
そう、相手の魂としての器の大きさを信頼してない。
もちろん、表面的にはちょっと大変そうに見えるときもあります。事実忙しかったり、やることがふえているようにみえたり。
でもそれは、個人意識の制限を突破するために自分で自分自身に課した制約だったりするもので、必ず自分の意識でその壁は超えていけるはずなんです。
それは、わたしがわたし自身にお金という枷をはめて自分の殻を破ろうとしたことと、きっと魂的には何ら変わりがないんだと思うのです。
何を制限として使うかはその人次第、そこには魂の学びも深く関わっているので「家族」や「時間」を制限とした方が、学びが深まるケースもあります。
そのことを100%信頼して、わたしはわたしのやるべきことに集中する方が、相手の状況に気遣いしたり遠慮するよりずっといいわ、と感じるようになったこの頃です。
だってその人の本質はいつだって完全で、大丈夫なのだから。🌟
ということで、困った時は青字部分を自分の問題に置き換えてみませんか?
「いやいや、待て。
魂としては、子供がいても全然大丈夫だから、子供のいる現実を映し出してるんじゃないか」
「全然大丈夫」の意味は「それを問題とは捉えず、自分の喜びに邁進できる」。
さあ今日も、わたしの本当の喜びを問い続けよう☆
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自分を表現するのは怖いこと?
友人の紹介で、以前所属していたオーケストラで、11月からまた演奏させてもらえることになりそうなのですが
めっちゃ人見知りしている自分がいることに気がつきました(笑)。
なんせ、以前所属していたといっても日本にいた頃なんで、17年前なんですよ。
当然その頃とはオーケストラのメンバーも雰囲気もガラリと変わっていることが予想され...うーんやっていけるんだろうか、自分、という一抹の不安がやってきて「あ、また現実の中入ってるじゃん!」という感じでした。
人目が気になったり、自分を表現することが怖いと感じる時って、ズレてるんですよね。自分とつながる場所から(笑)
つながっていると全く緊張しないんですよ。なぜかというと、たぶん世界や他人が自分の意識の中に存在すると感じられるからだと思います。
でも、人目が気になる時って、世界は自分の外に存在している。だから緊張しちゃうんですよね。
その時は現実というストーリー(絵本)の中に意識が入ってしまっているんです。
独立して7年、わたしはブログを書いたりYoutubeでお話したり、講座やセッションで皆さんとお話する時には、安定して自分とつながれるようになりました。
それは、もともとわたしはこの仕事がつながりやすかったから(人前で話すとなぜか話したいことが自然とあふれてくる素質を持っていたから)というのもありますが、それを意識的に訓練し、土台としていったのはやはり場数の力だと思います。
2019年くらいまでは講座も毎回準備していましたし、構成内容も「ああしたほうがいい?」「こうしたほうがわかりやすい?」などと自問自答しながら、その場その場で「いや、今はこれをやるべき」という内容に差し替えたりしていました。
それが今では、その時表現したいと感じたテーマを、表現したいと思った時に、講座としてリリースできるようになった。それはおそらく、それだけ安定して自分とつながれるようになったから、つまりこの仕事を通して、その時その時、魂の本音に一致していく力が磨かれていったからだと思うんですよね。
それがどっこい音楽のことになると
どうしよう〜上手くやってけるかな〜😢
なんて、随分可愛らしいエゴが出て来たりするものです(笑)。
新しく見つけた外向き意識をゆっくり癒しながら、この仕事で学んできたことを、他の道でもできるようにしていきたいと思います。
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