ここ何日か、超ド級の気づきがドドドン、とやってきたので書き留めておきたいと思います。
わたしはドイツで個人事業主をしていた頃、資金繰りがうまくいかなかったり、売上税が払えなくなったり、手元に十分なお金のない状態で帰国を決断したり、といった理由から家族に200万円以上の借金をつくりました。
そして帰国してからは、それを定期的に返済し更生する生活を求められ、でもなかなか上手くできない自分を持て余しぎみ...という感じの日々を送っていました。
そんな中、自分から受けとったメッセージの1つに「物事には、全て解決すべき時期というものがあるのだから、全てを自分でコントロールしようと思わないように」というものがあります。
わたしの両親は20年以上前に離婚していて、以来互いにあまり連絡をとっていなかったようなのですが、今回の件を機に、妹を含め家族が再び連絡をとるようになったという経緯がありました。
そして、それを知った友人たちからは「それは何か意味があって起こっているよ」といわれたことも。
つまり解決すべき時期というのは、わたしが決めることではなく、全ての準備が整った時に自然と問題は解決するから、焦らないように、という忠告だったのでしょう。
実際この問題の本質はお金ではなく、身内に対して「今、自分自身の感じていること」「本心」を素直に打ち明ける姿勢を学ぶことにあると感じるようになっていました。
それは、できないことは「できない」と、お金がない時は「お金がない」と伝える勇気を学ぶことであり、家系のカルマを終えていくことだったと感じています。
実はわたしたちのカルマ(生き方の偏り)には、意識のカルマと肉体のカルマがあり、前者は魂の輪廻の過程で身についた生き方の偏り、後者は肉体にDNAとして引き継がれた記憶から細胞に染み付いた生き方のクセのようです。
わたしが今回向き合っていたカルマは後者であり、それは根っこを辿ると、大丈夫ではない時に大丈夫と云ってしまう、いわば素直になれないやせ我慢のクセだったとも感じています。そして、それは家族と共に昇華することが色々な意味で近道だったので日本に戻ってきたのかもしれません。
またこうともいえるでしょう。
わたしにとって魂のカルマを昇華するのに最適な地はドイツであり、肉体のカルマを昇華するために最適な地は日本だった、とも。前者のプロセスは一旦終わったのです。
つづきます。
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