思い出して、わたしたちは

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先日、ケルト音楽を聴く機会があり、その過程でこの歌に出会いました。*


それで改めて思い出したこと。
それは「ああそうだ。わたしは、魂の歌をうたうために生まれてきたのだ」と。

以前も「メッセンジャーの本質は(人に何かを伝えることではなく)魂の底から歌をうたうこと」*というメッセージを受けとったことはありました。でもそれは、受けとったものであって、思い出されたことではなかった。
 
きっと、経験された方はわかると思うのですが、魂の青写真を思い出すというのは、いつも内側から起こる変容なのです。ああ、そういえばそうだった、と。
全身の細胞が振動する感じ。頭ではなく、ただわたしという存在を構成する細胞の全てがYES!!と云っている感じなのです。
 
人生は短く、あっという間に通り過ぎていきます。
そのため人は死を目前にして、初めて人生の目的に気がつくこともあるようです。この魂もいくつかそういう人生を記憶してきたようで
 
「今度生まれ変わったら、できるだけたくさんのものを愛したい」
「もう、自分に嘘をつかないで生きよう」
 
そんな記憶が降りてきたこともありました。
そこにはその人が自分の人生をどう生き、最後にそこから何を学んだのか、凝縮された叡智がつまっていました。でもほとんどの人生は、生きている途中「自分はどう生きたかったのか」を思い出すことは少なかったようです。だから今世は、それを思い出して生きたかったのではないかと感じていました。
 
全ての存在は歌をうたっています。
人間の場合は、ハートが歌っているのです。目には見えませんが、その人独自のエネルギーが、その人を中心に波紋のように広がっているのです。
  
わたしは自分の歌をうたえているのだろうか?
魂の底から歌っているだろうか?そもそも、わたしは何を歌いたかったのだろう?

そう振り返っているうちに気がつきました。そう、これです。

「思い出して、わたしたちは光の存在」
「出会う全てを照らし出すため生まれてきた」

 
魂の叡智は響き。
これはそれを日本語に訳したものなので、他の方はきっと、違う言葉で表現されるのかもしれません。そして本当は、後半の叡智は違う言葉でも良かったのかもしれない。
時々そうも感じるのです。
 
「思い出して、わたしたちは」
 
思い出して、あなたの魂の本当にやりたかったことは、何だったのかしら。
ただ、そう歌いたかった。命の灯がつづく限り。


* ケルト人は現在のドイツ地域にも住んでいたといわれていますが、魂の縁が深いのはスコットランドの方のようです。
* 魂の歌をうたうこと。本当の自分を表現すること。それがメッセンジャーの本質。その姿を見た誰かが、そこから自分に必要なメッセージを受け取ることがある。全ての魂には今の自分に必要なメッセージを受け取る力があり、それは当人が一番上手にできることだから。


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