他人のお世話係を卒業する

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春分後、毎月月末になると「なんか抜けきらないな〜」というエゴ意識の浮上が起こり、月初になると「今までわたしは一体何をやっていたんだろう」という、わりとどデカイ気づきが起こります。
 
先月の気づきはこちら
何も決めていない人を指導するなんて、泳ごうとしていない人に無理やり泳ぎ方を教えるようなもの。「本当は泳ぎたくない(自立したくない)」と感じている人に無理やり泳ぎ方を教えるなんて、向こうとしては迷惑千万、随分勝手な話である。
 
わたしの意識、教える人、間違って認識していない?

っていうか、自分の生き方すら決められないって、小学校何年生だよ!?

人生、出直してこい!!

 

そんな感じでした(^ ^)
注:メッセンジャーとして意識的自立を志す身としては、肉体年齢何歳だろうと、せめてキキ(13才)ぐらいにはなっていてほしいものである。
 
こんな風に書くと、誰かに怒っているように見えるかもしれませんが、誰にも怒っていません。以前はそれでも自分自身に怒っていたものですが、最近はそれもなくなりました。文字が大きくなるのは、魂なめんな!😎 みたいな気迫のせい。
魂の怒りっていうのは、怒りじゃないんですね。意図かな?純粋な意図が駆け抜ける感じ


で、今月の気づきはですね。

もう、他人のお世話係は卒業しよう。

実際にシフトするのは「意識の在りよう」なので、別に本当に誰かのお世話をしていたわけではないのですが、意識構造がそうなっていると、現実でもそれを感じさせる流れが起こってきます。
そして、他人が自分に甘えてくることを許している限り、自分自身も他人に甘えるようになってしまう。そうしないとバランスが取れないから。これぞ相互依存。
 
で、ある時「はっ...これはわたしのやりたいことではない。なんでこんな現実創ったのかな?」と振り返ってみたら、冒頭の気づきに至りました。
 
意識的自立というのは「自分の魂のお世話をするのは自分の個人意識なんだ」と自覚することから生まれてきます。
わたしが他人の個人意識のお世話をしている限り、新型人材育成どころか

甘えた人材育成講座になってしまう...

自分で自分のお世話をできるようになりたいなら、中途半端な生き方を卒業すると決めて、お金を払ってスクーリングに来てもらうこと。
その後も個人意識を卒業する指導が必要な場合は、お金をもらって継続的に指導すること。そして、甘えをやりきりたいなら、ママに頼んでもらうこと。

特に「中途半端な生き方を卒業する」は、決めないとできないんですよ。
何も決めていない時だけ、中途半端ができる。

人生抜けきらない?それはまちがいなく、あなたが何も決めていないからですね。


ということで、今後何か相談めいた話が入ってきたときは、

そうですか、それは大変ですね。

で、それとわたしに何の関係が?😎

 
そんな感じでいこうと思います。



 
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